海賊流行りだ。
今の流行の牽引役は、映画で言えば「パイレーツ・オブ・カリビアン」のシリーズ、漫画で言えば「ワンピース」あたりだろうか。
TVのスーパー戦隊シリーズも、ついに海賊になってしまった。
このブログで少し前に、夏休みの工作セットで海賊船が作れるものを紹介したところ、けっこう検索で飛んできた人に読まれているようだ。(制作記事の方はもうしばらく待ってくださいね)
男子は基本、海賊好きだ。
私の年代で言えば、TVアニメで放映されたキャプテン・ハーロックの影響が強いが、各年代ごとに男子はどこかで「海賊的なもの」に心ひかれた経験を持っていると思う。
私が最近、主に勉強している日本の戦国時代は、日本において「海賊」という存在が最も光り輝いた時代でもあった。
地上権力がまだ海上勢力を完全には傘下に置ききっていない時代、瀬戸内海を暴れまわった海賊衆の多くは、本願寺の旗印の元に参集して、信長による中央集権体制の確立に反抗した。
海の民が最も光り輝いた戦争「石山合戦」の終結後、海賊衆は解体され、国境を越えた交易を制限され、封じ込められていく。
海賊は、陸地の上の法律に縛られない。
国境に縛られない。
独自の価値観と実力で、荒波を乗り越えて生き抜く。
たとえフィクションであっても海賊が輝きを放つ時、世の中には「何事か」が起こり始めているのではないかと、ふと想像してしまう。
最近「闇市」と、それがあった時代のことも気になっている。
闇市という言葉は、如何にも字面が悪く、実態を知らない者にとっては何かいかがわしいもののような先入観を抱かせがちだ。
しかし戦後日本の各地に出現した「闇市」は、国家が治安維持や物流を管理する能力を喪失した中で、庶民の生活の必要から自然発生的に生まれたものだ。
人間は法律を守るために生きているわけではない。
国民の生命・財産を守るべき国や法が、その力を失ってしまっている状態にあっては、闇市の存在はまったく「正しい」ものとなる。
週刊SPA!連載の「新ナニワ金融道」が、「銭道立志編」というシリーズに突入し、ついに単行本になった。
●「新ナニワ金融道11」青木雄二プロダクション(SPA!コミックス)
オリジナル「ナニ金」の青木雄二の死後、のこされた青木雄二プロダクションによって、いくつかの続編が制作されている。
中でもこのSPA!版は、絵の再現度がけっこう高く、連載開始当初は「がんばってるな〜」という印象を持ってはいたのだが、やはりストーリーにどこか「ヌルさ」を感じてしまって、次第に読まなくなっていた。
たとえるなら、栗田貫一のルパン三世を見ているような、よくできてはいるけれども、それだけに物悲しくなってきてしまう感覚があった。
しかし、作中の帝国金融社長・金畑の若き日の姿を描くシリーズに突入してから、突然面白くなってきた。もしかしたらシナリオに誰か新しい人が参加したのかもしれない。
金畑社長と言えば、旧「ナニワ金融道」でも抜群の存在感を示していた登場人物である。
主人公である灰原が、甘さを克服して凄腕のマチ金屋として成長していく姿が旧作のストーリーの中心だったが、作中の帝国金融という会社にはその灰原を上回る猛者がゴロゴロしていた。
上司である桑田、高山をはじめ、肩書だけのお気楽社員は一人も存在しない、社内事務の専門の人以外は「武闘派」で固めた集団だった。
中でも社長の金畑は、実力で帝国金融に君臨する怪物だった。
新作の最近の展開は、戦後の混乱期、貧しい暮らしに追い立てられるように、大阪砲兵工廠跡の鉄屑を巡って活躍するアパッチ族に身を投じて行く金畑少年が軸になっている。
金畑少年と、その周囲や闇市経済の描写は手抜きがなく、極めてリアルだ。
現在の大阪城公園、かつての石山合戦の舞台は、時代を超えてまた庶民が生きるためにギリギリの戦いを繰り広げる場所になっていたのだなと、感慨を新たにする。
闇市の風景と言えば、漫画「はだしのゲン」も忘れられない。
また、宮崎学「近代ヤクザ肯定論」も読みごたえがあった。
国が当事者能力を失う時、海賊と闇市が復活する……
とか妄想したくなってくる(笑)
さて、またフリマにでも出店するか。

2011年07月31日
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