北杜夫さんがお亡くなりになった。
私にとっては、何といっても中高生の頃繰り返し読んだ「どくとるマンボウ青春記」の北先生だった。
●「どくとるマンボウ青春記」北杜夫(新潮文庫)
この本については、以前に一度軽く紹介したことがある。
訃報を聴いて久々に読み返してみた。
たぶん前回読んでから軽く十年以上は経っている。
作中で描かれる北杜夫さんの青春時代、第二次大戦直後の旧制高校の描写が懐かしい。
自分が十代の頃親しんだ描写に再会した懐かしさがあり、また、描かれる旧制高校の風景に対する懐かしさもあった。
もちろん私は(けっこう年食ったとはいえ)北杜夫さんよりはるかに年下なので、旧制高校そのものを実体験しているわけではない。
しかし私の出身校は私立の中高一貫で、創始者が旧制高校の学風を再現することを念頭に創り上げた学校だった。
時は流れて今はもうすっかり「まともな」学校になってしまったようだが、私の通っていた頃は時代から取り残されたような浮世離れした雰囲気が色濃く残っていた。
時代背景も違うし、旧制高校と現代の中高生では年齢もかなりずれているのだが、不思議と私は「どくとるマンボウ青春記」を、我がことのように共感しながら読んでいた。
だから今回の再読でも、内容の懐かしさとともに、自分の中高生の頃の記憶も一気に蘇ってきた。
成績別クラス編成で最下位クラスに入った高一の頃のこと。
「本来頭のいい馬鹿」ばかりが集まったどうしようもないクラスで、毎日狂的な馬鹿騒ぎを繰り返していたこと。
当時の友人の部屋に転がり込んで、意味なく時間を過ごしたこと。
その後学校を去ったその友人と、ずっと後になって再会したことなどなど……
取り憑かれたような熱狂はいずれ覚める時が来る。
学年が進み、その熱狂を主導していた友人が一人、二人と去るうちに、魔法のような「場」の空気は消え去っていく。
楽しくて、やがて寂しき。
それでもたった一人で、先に進まなければならない。
誰もが通る十代の道筋だ。
この本が好きな人は、おそらく世代を超えて無数に存在するだろう。
そういう人たちとは、なんとなく友だちになれそうな気がする。
私は人づきあいが得意な方ではなく、友人知己もごく限られた数にとどまるのだが、まだ見ぬ友人たちがこの世のどこかにたくさんいるかもしれないと想像することは、やはり楽しいものだ。
2011年10月30日
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