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2006年09月08日

友ヶ島年代記2 アワシマ

 イザナギ・イザナミの生んだ第二子、子のうちにいれられず流されたアワシマのその後はよくわからない。
 友ヶ島諸島のうちの「神島」は、古くは「淡嶋(アワシマ)」と呼ばれていたと伝えられる。友ヶ島を代表する沖ノ島の北側に、プッと吐き出されたように浮かぶ小さな小さな島が神島。沖ノ島をオノゴロ島に見立てると、「神島=淡嶋」はちょうど国生み神話の風景と重なるようにも見える。

 神島には古くから大己貴命(オオナムジノミコト)と少彦名命(スクナヒコナノミコト)が祀る祠があったと言う。オオナムジは大国主の別名、スクナヒコナは大国主に協力して国造りを行った神だ。
 スクナヒコナは「日本書紀」によると、高皇産霊(タカミムスビ)神の子で「いたずらをしていて指の股からこぼれ落ちた」と伝えられる。非常に小さな神であり、ガガイモの実の舟に乗って漂着した所で大国主と出会い、以後心を一つにして国を治めた。
 最後は再び旅立って常世の国に至ったという。
 スクナヒコナもまた漂着神の一柱のようだ。

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 スクナヒコナは「淡島明神」としても祀られることがある。
 木の葉の衣をまとい、穀物の穂をささげもち、頭には二つの突起がつく場合もある。これは「神農(しんのう)」と言う神と習合したことに由来する。神農は広く中国の民間で信仰された神で、二本の角を持ち、木の葉の衣を着て、草を噛む姿で描かれる。様々な植物を齧ってその性質を確かめ、医薬や農業を創始した神だ。
 スクナヒコナもまた、医療に長けた神なので習合したらしい。

 アワシマとスクナヒコナ、漂着神どうしの不思議なイメージの交錯…
posted by 九郎 at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 友ヶ島 | 更新情報をチェックする
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