2006年09月09日

友ヶ島年代記3 神功皇后

 神話時代から長い年月が流れ、ようやく歴史年代に入りかけた頃のこと、古代日本に一人の強烈なヒロインが現れた。第十四代・仲哀天皇の皇后、神功(ジングウ)皇后である。
 強力な巫女であった神功皇后は、神懸りを繰り返してアマテラスをはじめとする神意を伝えた。自ら軍を率いて「三韓征伐」を企て、実際に侵攻したとも伝えられる。行軍中に産気付くと、腹に石を巻きつけて無理矢理出産を遅らせ、筑紫国に戻ってから子を産んだ。このときの子が後の応神天皇である。

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 三韓からの帰りの航路では瀬戸の海上で激しい嵐に遭遇した。皇后が神に祈ると「苫(とま;茅などで編んで作った船の覆い)を海に投げ、その流れ通りに進め」という神意が伝えられた。その通りに船を進めてみると、やがて紀淡海峡の小島に到着した。その島こそがオオナムジとスクナヒコナの祀られる淡嶋=神島だったという。皇后は二神に厚く礼を述べ、三韓より持ち帰った宝物の数々を供えた。特にスクナヒコナの神には小さな人形を作り、雛形として厚く奉納したと伝えられる。
 その後また年月が流れ、神功皇后の孫にあたる仁徳天皇は、祭祀の便宜を図るため、神島の祠を対岸の紀州加太に移した。そして立派な社殿を建て、オオナムジとスクナヒコナに加えてオキナガタラシヒメ(神功皇后)を祀った。これが「人形供養」で有名な、現在の加太淡嶋神社の由来である。

 明治時代には、日本における最初の女性肖像紙幣になるほど重要視された人物だったが、現在では実在説・否実在説が並存。問題の「三韓征伐」も史実である可能性は低いとされている。
posted by 九郎 at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 友ヶ島 | 更新情報をチェックする
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