ここまで、紀淡海峡にある無人島・友ヶ島のあれこれについて紹介してきた。
文献で色々調べ、現地にも足を運んでみた。私はちゃんと先達についた修験者ではないので、全て個人的な感想に過ぎないが、彼らがなぜ山や自然の中に入るのか、自分なりに感じたこともある。
私たちは普段、自分の都合を優先して計画を立て、生きている。特に都会の暮らしでは、エアコンで一年中気温が一定だし、「季節の食べ物」なんてスーパーの売り文句にしかすぎなくなっている。だいたい時間通りに公共交通機関は動いているし、いつでも誰とでも連絡がつく。あらかじめ頭で計画したら、それがそのまま実現しやすい環境にある。
ところが山や自然の中に入ると、何一つ自分の思うようには物事が運ばないことに気付く。暗くなれば寝るしかないし、朝日とともに目を覚まし、移動したり食事の支度をしたり、ただ生きていくだけで一日が過ぎる。
移動中、斜面に差しかかれば斜面にあわせ、岩場に出れば岩の都合にあわせなければならない。無事岩場を通り抜けるには、選択できるラインはせいぜい一本か二本くらいしかない。海辺で潮の干満にあわせなければ、一歩も動くことは出来なくなる。
体力や技術とともに、自然条件にあわせきるための知識がなければならない。そこには「自分の都合」が入り込む余地は非常に少ない。
昔の修験者たちは「自然の働き=神仏」と捉えたのだろう。日本の山・川・滝などには神仏の名を冠したものが数多い。山に分け入り、「自然=神仏」に同期し、あわせきる。あわせきっても大丈夫な自分を作り上げる。それが修験なのではないか?
友ヶ島でそんなことを考えた。
虎島・観念窟の断崖絶壁の上方には、石造りの役行者像がある。木の葉の衣を肩にまとい、海の彼方をじっと見つめる姿は、そうした修験者の理想形だったのかもしれない。
2006年09月30日
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