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2012年03月09日

「あたけぶね」についての覚書

 当ブログでは、織田信長と石山本願寺の十年戦争「石山合戦」について、断続的に記事をアップしている。
 カテゴリで言えば、以下のものがそれにあたる。
 石山合戦
 和歌浦
 

 まだまだ勉強中なのだが、最近、戦国時代の大型軍船「あたけぶね」について、今まで気づいていなかった情報があったので、覚書にしておく。
 この軍船についてはカテゴリ「海」で、資料集めや夏休みの工作をやってきた。
 その際、「安宅船」という表記で調べてきたのだが、同じ読みでも別の表記がされている場合が多々あることに気付いた。
 書き言葉よりも話し言葉が主であった中世にはよくあることなのだが、あて漢字の違いによって複数の表記例がある場合があって、たとえば「あたけぶね」なら「阿武船」と書かれることもあるのだ。

 それに気づいて「阿武船」で検索してみたところ、ごく最近、実物大の「大阿武船」が復元されたことがあったらしいことを知った。
 以下のサイトにその経緯が述べられた記事がまとめてある。

 せとうちタイムズ
 大阿武船活用に複数の問い合わせ!
 大阿武船解体工事進む
 「大阿武船」 因島

 これらの記事によると、この復元船は約一億円の予算で建造されたもので、中身は鉄製だが、外見はほぼ忠実に戦国時代のものを再現してあったようだ。
 残念ながら既に解体されてしまったのだが、各方向からの写真は残っている。
 写真を見ると、博物館の復元模型では見られない、経年変化した木造船の質感が見られて興味深い。
 私は未見なのだが、映画「あずみ」のロケにも使用されたらしいので、機会があればチェックしてみたいと思う。

 以上、覚書として書きとめておく。
posted by 九郎 at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする
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