この異能の歌い手については、いずれ記事にするつもりではいた。
しかし、思い入れのある対象であればあるほど、いざ書こうとするとなかなか筆が進まないこともある。
先日、反原発記事を書く行きがかり上、ついにこの歌い手のことを書いてしまった。
行きがかり上とはいえ、取り上げてしまったからには、もう少しちゃんと書いておかなければならない。
この一年ほど、よく長渕を聴いている。
これまでにも何度か長渕にハマった時期があった。
ずっと聴き続けてきたわけではないのだが、何年かに一度、ハマる時期が来る。
今回久々のマイ長渕ブームのきっかけになったのは、2010年に発売された以下の本を、書店で手に取ったことだ。
●「別冊カドカワ 総力特集 長渕剛」
「音楽人生三十年を語り殺す!」
「今、語る『とんぼ』の時代」
表紙に踊る刺激的な見出し通り、読み応えのある一冊だ。
タイミング的には、東日本大震災に関連して精力的な動きを展開する直前の発行である。
長渕剛本人に対するインタビュー、多くの著名人からの寄稿、作品解説も豊富で、書画や愛用ギターについても紹介されている。過去、現在に、一度でも長渕剛に興味を持ったことがある人は、手に取ってみて損はないと思う。
映画監督・深作健太のインタビュー記事の中に、俳優・藤原竜也のエピソードが紹介されていて、ちょっと笑ってしまった。
映画「バトル・ロワイヤル」撮影時、カラオケに行った時のこと。
ナガブチをうたう藤原竜也に驚いた深作監督。話を聞いていると「長渕歌って何が悪いんですか!」と熱く語りだしたとのこと。
カラオケで自分から歌っておきながら、誰もまだ文句なんか言っていないのに、言われる前から「何が悪い!」と先ギレするのは、長渕ファンあるあるではないだろうか?(苦笑)
長渕剛が世間的にどのように思われているか承知の上で、ナガブチの偏った部分については自分でも「ちょっとなあ……」と思いつつ、それでも好きで、たまにカラオケの機会があれば歌ってみたくなる。
歌ってはみるものの、気恥ずかしさはちょっとあり、そこはあんまりいじってほしくなくて「先ギレ」してしまったりする。
自分も含め、長渕ファンにはそういうめんどくさい所が、確かにある。
私の人生で一番ナガブチにハマったのは、高校生の三年間ほど。
当時は毎日のようにナガブチを聴きまくっていた。
とくに高一の頃は、当時の友人にダビングしてもらった以下の三枚のアルバムを日課のように聴きこんでいた。
●「HOLD YOUR LAST CHANCE」
●「HUNGRY」
●「STAY DREAM」
海辺の町で一人暮らしをしていた同じクラスの友人のレコード(!)が原盤で、けっこうノイズも入っていたのだが、当時はそんなことはまったく気にしなかった。
ギターを弾くその友人は長渕剛の弾き語り本も持っていたので、コードネーム入りの歌詞ページもコピーさせてもらって歌詞カードがわりにしていた。
長渕剛はデビュー時から多彩な変身を繰り返してきたのだが、私が中高生の頃は、長渕剛が今の長渕剛のイメージを作り上げる直前の、物凄く変化の激しい一時期と重なっていた。
この三枚のアルバムだけでも、音作りや発声法が目眩のするほど変化している。
バンドサウンドが完成に向かった「HOLD YOUR LAST CHANCE」「HUNGRY」から、一転してごく個人的な弾き語りスタイルに回帰する「STAY DREAM」への流れは、続けて聴くと、それ自体がドラマになっているように感じられた。
メディアへの露出も多く、メガヒットもあった時期なので、私の周囲はみんな長渕のことを(肯定も否定も含めて)よく知っていた。
三十代から四十代にかけてのお笑い芸人の皆さんの中にはけっこうな数の長渕ファンがいるらしく、たまにTV番組などでそのような話題やネタを披露しているが、それはたぶん同じ理由による。
ナガブチに浸りきっていた中高生の頃を終えてからは、さすがにずっと聴きつづけることはなかった。
その後も長渕剛は「変身」を繰り返したし、個性が強烈なので、合うときは合うのだが、感覚的に受け付けない時期も、やっぱりあった。
私にとっては、一人内なる声に耳を澄ませているような内省的な時期の長渕剛が一番しっくりくる。
そうした音は、以下の三枚のアルバムで聴ける。
●「STAY DREAM」
●「LICENSE」
●「NEVER CHANGE」
この三枚のアルバムが出た時期の長渕は、TVドラマの主演が好評だったり、「本業」の歌のヒットも有り、プライベートでは結婚したり、子供が生まれたり、非常に安定していたのではないだろうか。
一度全てを失い、どん底から一人で這い上がった「STAY DREAM」から、何気ない市井の暮らしの中で、人情の在り様を細やかに見つめていく「LAICENSE」に至るアプローチは、今でもファンが多い。
正直、私もこの頃の「芸風」が一番好きだ。
もし長渕剛がこの芸風で安定していたとしたら、今頃は広く支持を集める国民的歌手になっていたかもしれない。
しかし、それはそれで長渕剛の中の、ある大切な「何か」が失われてしまっただろう。
生み出す「音」の好みとは別に、敢えて変身し続けることをやめないナガブチは、やっぱり気になる存在なのだ。
セルフカバーアルバム「NEVER CHANGE」は、発売当時、古くからのファンの評判は最悪だった。「変わらない」というタイトルなのに、肝心の音作りが全く変わってしまい、ファンが思い入れを込めている名曲が、それぞれに「別物」に変わってしまっていたのだ。
今にして思えば、流転し、何度でも生まれ変わり続けるその姿勢そのものが、いつまでも「変わらない」ナガブチの生き方なのだと理解できる。
夢の中で過去をやりなおしているような「NEVER CHANGE」は、あまり評価は高くないけれども、長渕剛という歌い手を俯瞰する上では、けっこう重要なアルバムだと思う。
この時期、一度完成した感のあった長渕剛は、その直後に突然「怪物」を生みだしてしまうことになる。
内なる狂気を極限まで研ぎ澄ましたことにより生み出されたその「怪物」は、ある時期から長渕剛を丸ごと乗っ取ってしまったように、不可分の存在へと成長していく。
注意深く観察すれば、「STAY DREAM」や「LAICENSE」の中に、その後の変身を予感させる言葉の断片を見つけることはできる。
「STAY DREAM」収録の「少し気になったBreakfast」という静かな曲の中では、以下のように呟く。
しあわせな朝のすき間から
のぞいても何も見えなくて
時に心が痛く痛くうち震えてくるのは
なぜだい?
あるいはもっとあからさまに、「LAICENSE」の冒頭では、今更のように「チンピラになりてぇ!」と叫ぶ。
この時点で、その言葉を真に受けたファンが、どれだけいただろうか?