織田信長と坂本竜馬、日本の歴史物語に登場する人物の中ではトップクラスの人気を誇る二人である。
両者とも実在の人物だが、敢えて「歴史物語の登場人物」と表現するのは、二人の人気が必ずしも史実に裏付けられたものではなく、小説をはじめとするフィクションの世界での活躍によるところが大きいからだ。
どちらもよく似た持ち上げられ方をすることが多い。
すなわち、「古い時代に忽然と現れた、近現代の合理性を備えた人物」という設定だ。
こうした構造の物語がなぜ現代の読者の心をつかみ易いかについては、以前にも一度記事にしてみたことがある。
フィクションの中で、主人公のキャラクターを際立たせるための設定としてそのように描くことには、とくに問題は無い。
作家と言うものは「見てきたようなもっともらしい嘘」を、さも本当のことであるかのように語るのが仕事であるし、その嘘が面白い嘘で、読者が心から楽しめる限りにおいて、全ては許される。
実際の信長も龍馬も、鮮烈な個性でそれぞれの時代を駆け抜けた魅力ある人物だったことは間違いないだろうし、作家はそうした史実を種に、想像力で独自の物語を紡ぎだすものだ。
問題なのは、実在の人物をフィクションで扱った場合、読者の側に「お話はいくら面白くてもしょせんお話」という見識がないと、フィクションの世界で描かれた人物像が史実そのものであるかのように錯覚してしまうことがあるということだ。
そしてそのような錯覚を利用し、あやかることで、自分の意見を都合よく正当化し、利益を得ようとする輩が、著名な人物の中にもいくらでもいるということだ。
御用心、御用心。
選挙の時に信長や竜馬の名前を出す候補者。
歴史は専門外のはずなのに、信長や竜馬に仮託して己の意見を広めようとする経済評論家。
そいつら、全員アウトです!
フィクションと現実の見分けがつかないバカか、己の利益のために一般庶民をだまくらかそうとする詐欺師であるかのどちらかです。
選挙が徐々に近づきつつある中、信長と竜馬の名を使ったり、彼らにちなんだ用語を使う輩にはくれぐれも御用心!
2012年11月11日
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