引き続き、恒川光太郎作品を読んでいる。
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以下は今現在、刊行済みの中では最後の一冊。
●「金色の獣、彼方に向かう」恒川光太郎(双葉社)
短編集である。
鼬に似た「獣」のイメージが、それぞれの作品を繋ぐともなく繋いでいる。
はっきり連作短編と言うほどの緊密度はないが、「草祭」に近い距離感で連環している。
四作品の表題は以下の通り。
1、「異神千夜」
2、「風天孔参り」
3、「森の神、夢に還る」
4、「金色の獣、彼方に向かう」
「風天孔参り」「金色の獣、彼方に向かう」は、これぞ恒川光太郎と言った雰囲気の作品で、現代またはそれに近い時代設定の中、民俗的な異界のイメージと、それに出会ったときの人の心の在りようが、極めて精緻に描写されていく。
「森の神、夢に還る」は、ちょっと珍しい二人称の物語。スタンダードな三人称や一人称と違った異様な語り口なのだが、視点がある若い女性に取りついた憑霊からのものだと分かってからは、なるほど二人称で表現するのが一番自然だと感じられるようになる。
普通なら二人称であることが展開上終了した時点で、作品として完結させてもおかしくないと思うのだが、そこからさらにもう一歩、搾り出せるだけのイメージを搾り尽くしているのが恒川光太郎の真骨頂だと思う。
「異神千夜」は、はっきりそのように描写されているわけではないが、他の作品に登場する「獣」の起源にまつわる物語になっているようだ。
元寇の時代が舞台で、元に滅ぼされた辺境の国の女巫術師が「獣」を日本にもたらして異様な進化を遂げていく筋立てになっている。
辺境で生まれたごく小さな信仰が、何かのきっかけで移動を開始し、長い旅を続けるうちに思わぬ進化を遂げていくことは、現実の世界でも頻繁に起こる事例だ。いくつかの例は、当ブログでもカテゴリ大黒や、節分として紹介している。
考えてみれば世界宗教として広まっているキリスト教や仏教も、はじまりに時点では先行する民族宗教の異端的改革派に過ぎなかった。
神仏に限らず、様々な文化や、もっと言えば病原体等も、それを媒介する人の移動とともに、変容しながら生き延びていく。
武術が近代化された維新後、日本では必要とされなくなった柔術が南米やヨーロッパに伝えられ、その技術が現代の総合格闘技の基礎として、再び日本や世界に復活した経緯なども、なんとなく思い返してしまう。
人と、その隣に存在する何者かの、長い旅について、あれこれ空想してしまう作品だった。
今月末には恒川光太郎の、沖縄をテーマにした最新刊が出る。
●「私はフーイー 沖縄怪談短篇集」恒川光太郎(メディアファクトリー)
2012年11月15日
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