幼児の頃、私は昼間の時間帯を祖父母の家で過ごしていた。当時気になって仕方がなかったのが、祖父母宅の裏に控える、古墳のような小山のことだった。
「山をどんどん登って行くと、どうなるのだろう?」
ある時期から、そんなことを考えるようになっていた。
山の周囲のことはよく知っていた。いつも遊んでいたし、子供なので大人の通らない「隙間」も通路として利用できた。だからある意味では周囲の大人たち以上に、場所と場所のつながりについて、詳しく知っていたと言える。
しかし小山そのものは、子供が勝手に登ることは禁じられていたので、幼い私の中では巨大な空白地帯として、好奇心を刺激されていた。
「山をどんどん登って行くと、どうなるのだろう?」
時間の経過とともに、子供の空想は着々と蓄積されていく。祖父の作った木彫りの妖怪たちも、その空想の格好の材料となった。蓄積された空想は噴出口を求めてマグマのようにエネルギーをためこんで行く。
「山をどんどん登って行くと、どうなるのだろう?」
「山の向こうには何があるのだろう?」
ある日、幼い私は決然として裏山に登り始めたのだった…
2006年12月25日
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