このようにして、私はおそらく人生初の「入峰修行」を経験した。
今から考えるとあぶない話だ。山が小さかったから良かったものの、もし普通の山に勝手に入り込んでいたら、立派な神隠し事件になっていたかもしれない。しかし私は幸運にも無事生還し、それで味をしめてしまった。
思い定めて山を登るときの酩酊感覚、登りきって新しい展望が開けたときの興奮は忘れがたく、以後の私は登山に関心を持ち続けることになる。
登山部などに所属し、本格的に学ぶことは無かったが、中高生の頃の学校の裏山から始まり、近場の登山コース、果ては熊野の山々まで、時間を作っては歩き回るようになった。
大人になるに従って山の標高や日程はハードなものになっていったが、登る途中の興奮は幼い頃の「小さな冒険」とあまり変わっていないような気がする。
山の向こうには何がある?
その空想の答えも、まだ出ていない。
今回、この「山の向こうへ」の稿を書くにあたって、私は祖父母宅周辺の様子をGoogle Earthの航空写真で確認してみた。あの懐かしい家はもう無いのだが、幼い頃の記憶とそれほど違わない、相変わらずの村の風景があった。
記憶と違っているのは、昔よりお墓の部分が広がって、茂みが少なくなっている所ぐらいか。
確かめてみれば、幼児の頃の「冒険」の舞台は、本当に小さな小さな、山と呼べるかどうかもわからない平野の「ふくらみ」に過ぎなかった…
2006年12月28日
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