久々に石川賢のキャラクターを描いていたら、私の中のダイナミック・プロ信者のスイッチが入ってしまった。ここは一つ、私の永遠のバイブルである永井豪の漫画「デビルマン」をネタに、一枚描かずにおれなくなった。
デビルマンの絵を描いたのは二年ぶりぐらいだろうか?
二年前、CGをはじめたばかりの頃、ペンタブレット(ペン型のマウスで、モニター上のカーソルを絵筆のように動かすのに便利)の練習に、中高生の頃から描き慣れたデビルマンの絵を何枚も描いた。中々思い通りに動いてくれないカーソルをリハビリのようなつもりでのたくらせながら、ひたすら描いた。絵描きとしてもう一度生まれなおすつもりで、ただ黙々と懐かしい「デビルマン」のキャラクター達を描き続けた。描き続けるうちに、思春期の頃、明確な意志をもって絵を描き始めた時の熱が、私の中に蘇ってきた。
14歳の頃、私ははじめて漫画「デビルマン」を読んだ。それまでにも前回紹介した石川賢の「ウルトラマンタロウ」や、TVアニメの「デビルマン」「マジンガーZ」「ゲッターロボ」など、永井豪率いるダイナミック・プロの世界には慣れ親しんでいた。しかし、漫画「デビルマン」はそれまでの体験とは全くレベルの違う衝撃を、私にもたらした。
漫画「デビルマン」については、既に多くの人が取り上げ、影響を受けた表現者の皆さんも極めて多数に上る。もはや「伝説の作品」なので、ここでは詳しい紹介を省く。あくまで個人的な「デビルマン」体験を書いている。
凶悪な悪魔の合体を受け、狂った破壊衝動と正気の間でのた打ち回る主人公・不動明。その姿は14歳という年齢のもたらす私の精神的な不安定と同期して、まるでわがことのように感じられた。貪るように何度も繰り返し再読したため、コミック全五巻の内容を全て頭の中に再現できるようになった。もちろん、数え切れないほどの絵も描いた。
悪魔と合体しつつも、最後まで自分自身の精神を守った主人公の姿。私が当時の不安定を乗り切れたのは、この漫画の影響があったと思う。
そしてはるかに時は流れたけれども、いまだに私は「デビルマン」に助けてもらっている…
2007年01月14日
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