もう10年以上前のことだが、「ビル越しの阿弥陀」という言葉が、ふと頭に浮かんだ。
中世の仏教図像に「山越しの阿弥陀図」というものがある。
日本独特の浄土信仰を表現したもので、人間の臨終の時、山の向こうから阿弥陀如来が来迎して浄土に迎え入れてくれるというイメージを図示したものだ。
そうした来迎図のイメージを、葛城二上山の入日に重ねて物語を紡いだ人物に、折口信夫がいる。
そう言えば、最近奈良で「當麻寺展」も開催され、當麻曼荼羅や山越しの阿弥陀図も公開されていた。
もう十年以上前になるが、大阪都心部でバイトをしていた頃、夕刻の帰り道が好きだった。
日が傾いてビルの間に落ちるそのひと時、都市の風景は強烈な夕日に支配される。
すでに点っている街灯やビル内の照明、車のライトなども、西からの強烈な光線には敵わない。
落日とビルの黒々とした影のコントラストに、人工光は吸収されてしまっている。
普段は人工物ばかりが幅を利かす都心部で、その時間帯は珍しく「落日」という巨大な自然が風景の有り様を塗りつぶしてしまう。
家路にある私は、それを見ながら、
「ああ、山越しの阿弥陀図みたいだな」
などと場違いな連想をしていた。
透明で巨大な阿弥陀如来が、ビルの間を音もなく通り過ぎていく姿を妄想していた。
そんな時にふと頭に浮かんだのが、冒頭の「ビル越しの阿弥陀」という言葉だったのだが、そのまますっかり忘れてしまっていた。
そして二年前、内田樹さんが「うめきた大仏」についてブログ記事を書いているのを目にしたとき、長いあいだ忘却していた言葉が、私の頭の中に蘇ってきた。
それ以来、「ビル越しの阿弥陀」の絵を描いてみたいなと思っていた。
最近やっと、スケッチだけは描けたので、心覚えに記事にしておく。
2013年06月06日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック