先ごろ、週刊ヤングジャンプに長期連載されていた漫画「GANTZ」が完結した。
終盤は何よりも「完走」を重視してやや急ぎ足の展開になった印象があり、語り残しも多々あるのではないかと感じるが、そのあたりは単行本化の際の加筆で多少は補完されるのだろう。
長期連載の人気作はどのように終わらせても文句は出るもの。まずは完結まで持ち込んだ作者の力量に拍手である。
私が本格的に読み始めたのは2年ほど前、映画化され、コンビニ版が発行されたタイミングからだった。
もちろんそれ以前からこの作品の存在は知っていた。
ヤングジャンプは毎週一応チェックしている雑誌なので、2000年の連載開始初回は、たしか誌面で読んだはずだ。
漫画家・奥浩哉の作品、デビュー当時はこまめに追っていた。
ちょっと変わった絵柄と感性の短編連作が面白かったが、けっこうマイナーな味わいなので売れそうもなく感じ、応援の意味も込めて初期の単行本を買ったりしていた。
その後作品が定期連載となり、絵柄も作風も洗練され、見事人気作家の仲間入りを果たした。
私はと言えば、その様を少しの寂しさとともに拍手を送りつつ見送り、やがて奥浩哉の作品を追わなくなって行った。
そして人気作「HEN」の連載終了後、3DCGを大幅導入した「01 ZERO ONE」を目にした時、「お、また何か儲かりそうもない変なことを始めたなw」と嬉しくなってしまったりしたのだが、案の定売れずに中断。
そんな流れの中での2000年「GANTZ」連載開始だったと記憶している。
第一話を読んだ時点で、奥浩哉の「本気」を感じた。
生来持っているマイナーだが深みのある持ち味をそのまま活かしながら、同時にプロになってから身につけた「売る」ための技術を最大限に駆使していく覚悟を感じた。
「これは雑誌で細切れで読むのはもったいない。ここは溜めておこう」
そう決心した私は、それ以来、鋼の意志をもって誌面の「GANTZ」を黙殺し続けた。
それから10年以上が経ち、どうやら連載が終盤に入った気配を感じた私は、満を持して「一気読み」に入ったのである。
(実は同様の読み方で「溜めて」いた作品は、他にも何作かある)
溜めに溜めた末の一気読み。
極上の作品に耽溺する日々。
日常生活の空き時間をすべて作品の読み込みに費やし、それでも足りずに乏しい睡眠時間をさらに削って再読、また再読。
漫画読みにとって無上の時間である。
正直に言えば、最終エピソードの「カタストロフィ編」に入った直後くらいまでが、作品の面白さのピークであったのではないかと思う。
それまでの「閉鎖空間」での濃縮された演出。感情描写に比して、「カタストロフィ編」は舞台が壮大になり、登場人物も場面も拡散した結果、個々の登場人物の感情の掘り下げや、アクション描写の緊張感は、やや散漫になった印象がある。
物語は生き物なので、どんなに技術的に優れた語り手であっても、登場人物の感情の全てをコントロールすることは困難だ。
作品世界が展開の半ばでピークを迎えてしまったとき、作者にははっきりとした予感があるはずだ。
「このまま展開を追って行っても、おそらく今迎えている作品のピークを超えることはない」
こうした時、作者には二つの選択肢がある。
作品のテンションを重視し、無理に風呂敷を畳まずにそこまでで「第一期完結」として中断するか、読者に対する義理を果たすため、ともかく完結させてしまうかだ。
この場合、登場人物の感情のピークは既に過ぎているので、展開の巧みさや絵的な壮大さなど、別の面の「見せ場」は必要になってくる。
二つの選択肢は、ある意味どちらも正解で、奥浩哉の場合は後者を選択したのだと思う。
今のタイミングを逃せば、おそらく同じ体制で再チャレンジできる環境は持てなくなる公算が高いだろう。
作画に多大なコストをかけ、単行本数十巻に及ぶ長編を描きあげるという週刊誌連載漫画の在り方は、今後急速に消滅していくかもしれない。
それほどに「紙」の出版界の凋落は、深く静かに進行中なのだ。
豪華な画面作りの超大作、最終盤の作品になるかもしれない一作だと思う。
2013年07月19日
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