織田信長と本願寺の天下分け目の一大決戦である「石山合戦」を、いつの日か絵解きしてみたいという願望をもっている。
遅々とした歩みながら、関連書籍をあれこれと読み続けている。
そんな中、書店を巡回しているときに司馬遼太郎「播磨灘物語」が平積みになっているのを見かけた。
来年のNHK大河ドラマで黒田官兵衛が取り上げられる関係で、ピックアップされているらしい。
司馬遼太郎の作品は中高生の頃あれこれと読んでおり、この「播磨灘物語」も一回くらいは目を通しているはずなのだが、内容はほとんど覚えていなかった。
たしか秀吉による播磨三木城攻めあたりが中心になっていたというおぼろげな記憶があり、それならば石山合戦とも時期的に重なり、毛利や本願寺との政治的駆け引きも当然出てくるはずなので、再読してみることにした。
あと、私も実は播州出身で、出てくる地名になじみのある場所が多いことも、食指を動かされた要因の一つである。
●「播磨灘物語 全四巻」司馬遼太郎(講談社文庫)
結果から言うと、石山合戦を目的とした読書という面から見れば、全くの空振りに終わった。
作品の切り口としては、織田信長と中国毛利という二大勢力に挟まれ、もみくちゃにされる播州の小勢力の興亡を、黒田官兵衛と羽柴秀吉の交流を軸に、丹念に描いていくという体になっている。
播磨は現在の姫路市に存在した英賀(あが)本徳寺の寺内町を中心に、一向一揆の力の強い地域でもあったのだが、作品内ではそうした要素は抑え気味になっている印象がある。
取り扱われる史実が播磨ローカルなものが多く、登場人物の大半が世にあまり知られていない地味な人士で占められていることもあり、作品内の筋立てをより分かりやすくするために「信長VS毛利」という大きな構図を中心に据え、「本願寺・一向一揆」という要素は抑制したのかもしれない。
何箇所かに雑賀孫市も名前だけは出てくる。
雑賀孫市は石山合戦の期間中の10年あまり、対織田軍の司令官として転戦を続けていたので、もしかしたら英賀寺内町や攝津あたりの攻防において、黒田官兵衛と直接対決した史実も十分あり得ただろうから、そうしたシーンも作中で見てみたかった気もする。
しかし、あの強烈な「尻啖え孫市」を、この全体に地味な作品に登場させてしまったら、大きくバランスが崩れてしまっていただろうから、名前だけの出演になったのも仕方がないことなのだろう。
作者自身も一向一揆的要素の描きもらしについては自覚し、読者から一定数あったらしいそうした指摘は多少気になっていたようで、あとがき等でその点について解説を加えている。
それによると、作者の先祖はそもそも英賀門徒衆であったという伝承があるらしく、主人公の黒田官兵衛とは敵対関係にあったそうだ。
元々の着想は英賀での攻防にあり、作品を描き起こす触媒としてそのテーマは確かにあったのだが、描きすすめるうちに自然と消えていったと説明している。
個々の小説作品内のバランスという点では納得できる説明だが、石山合戦そのものを取り扱った「尻啖え孫市」でも、主人公の孫市は本願寺の信仰を持っていなかったと設定されており、もっぱら陸上の傭兵稼業の描写ばかりだった。
史実としての孫市(鈴木孫一)が、雑賀水軍を率いて寺内町ネットワークを活用した海上交易や海戦を行っていた面は全く描かれていなかった。
これはもう書いてしまっていいと思うが、ぶっちゃけ司馬遼太郎は、本願寺の寺内町ネットワークや中世の海賊・水軍と言うようなテーマについて、作品の主題にできるほどには認識できていなかったということだろう。
もちろんそうしたテーマについて「無知である」ということはあり得ないのだが、他の分野の高品質な描写に比して言えば、手薄な感は否めない。
ただ、そうした不足は、小説の面白さとは無関係だ。
一向一揆、石山合戦という切り口から見れば空振りに終わったのだが、作品自体は非常に楽しめた。
黒田官兵衛はよく「軍師」と呼ばれ、次の大河ドラマでもそのような表現になるようだが、戦国当時固定的な「軍師」という役職があったわけではなく、それぞれの戦に参加したメンバーのセッションの中で、軍事戦略の相談役のような立場に相当する人物が、結果として浮かび上がってくる様子が作中でもよく描かれていると感じる。
一般にあまり知られていない戦国末期の播磨の情勢が分かり易く描写されている。
私も含めて播磨出身者なら、登場する同郷の面々の視野の狭い田舎者ぶりも、苦笑を浮かべつつ愛情を持って読み進められると思う。
個人的に興味深かったのは、官兵衛に至るまでの黒田家が、薬の製造・販売を行っていたらしいという部分だ。
播磨は古来、陰陽道、それも蘆屋道満系の民間陰陽師の影響の強い地域であり、中世においては薬の製造・販売は陰陽道の管轄になっていた。
陰陽道の強い地域と言うのは、同時に一向衆が広まり易いという傾向があり、播磨はまさにそれに該当する。
迷信を嫌う一神教的性格をもった一向衆と、神仏が複雑に習合した陰陽道は、一見正反対の在り方に思えるのだが、実際にはコインの裏表のように同じ地域で同居している場合が多いのだ。
このあたり、なにかざわざわと惹かれるものがある。
陰陽道については、以下のカテゴリで取り扱っている。
節分
節分の豆まき行事の背後に横たわる、奇怪な神仏の物語。
「蘇民将来」「金烏玉兎」「牛頭天王」「艮の金神」「スサノオ」
金烏玉兎
中世陰陽師の伝説の秘伝書。その真相とは?
2013年08月08日
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