「織田信長はbattleに弱い」
↑こう書くと、戦国ファンの多数派を占める信長ファンに怒られそうだ。
このブログの管理人は石山合戦で本願寺方にハマっているせいで、信長の悪口を言ってばかりいる、、、
そんな風に顔をしかめられそうだ。
では、こう書くとどうだろう?
「信長はbattleには弱いけれどもwarには強い」
これで少しは記事を読む意欲を持ってもらえるかもしれない。
ここでいうbattleは「局地戦」、warは「戦争」というニュアンスになる。
通常、戦国時代の合戦譚と言えば、イメージされるのは弓鉄砲や槍刀を持って行われる個々の戦闘、局地戦のことだろう。
battleの部分はやっぱり絵になるし、戦国合戦の華であるから、小説やマンガ、映画でも描写の中心になりやすい。
しかし、本当の意味で複数の国の間の趨勢が決まるのは、そうした個々の「戦闘、局地戦」ではなく、より規模の大きな「戦争」においてであるし、もっと本質的には統治のあり方や外交の次元においてである。
話を戻すと、史実を見てみれば、織田信長はbattleの次元ではあまり強くない。
信玄の率いる武田軍や謙信率いる上杉軍、それに雑賀衆などの、戦国最強クラスのbattle熟練集団には、局地戦でほとんど勝てていない。
個々の戦闘でなかなか勝てなかったからこそ、経済力にものを言わせ、圧倒的な物量と政治・外交の力で相手を封じ込める戦略を取らざるを得なかったのだが、結果的にはそのことが天下一統の要因とすることができた。
battleとwar、織田信長と鉄砲については、以下の本に詳細に述べられている。
●「鉄砲と日本人―『鉄砲神話』が隠してきたこと」鈴木真哉(ちくま学芸文庫)
戦国時代の真相についての考察を、多く送り出している著者である。
読みやすい新書版が多数あるが、内容に重複が多いので、一番まとまっている主著の一つを紹介しておきたい。
鉄砲戦術に強い著者であるが、独特の「言い切り」の多い語り口には毀誉褒貶が激しい。
しかしながら、「戦国合戦は弓鉄砲などの遠戦兵器が主体であった」とか「織田軍の鉄砲隊は過大評価されている」とか「いわゆる武田の騎馬軍団は存在しなかった」と言った論旨自体には、大筋で合意が形成されつつあるのではないだろうか。
戦国ファンなら一冊は目を通しておいて損のない著者だと思う。
上掲の本ではごく簡単にbattleとwarの違いについて触れてあるだけだが、もう少し考えを進めてみると、両者は歴然と分かれるものではなく、間にグラデーションがあると思う。
個々の合戦であっても、戦場に存在する人数が数百から数千であればbattleの範疇に入るだろうが、数万を超える規模になると、経済力が絡んでくるのでwarの要素が強くなってくるだろう。
多数の鉄砲が持ち込まれる合戦は、双方にそれなりの経済力が必要になってくるのでwarに近づく。
大規模な攻城戦ともなれば、双方の政治・外交戦略の要素が強く出てくるので、battleというよりはwarそのものになってくる。
織田信長の戦歴でいえば、尾張国内をまとめるまでの小規模な戦がbattleにあたるだろう。
信長は国内を制圧するのにかなり手間取っている。
国外にまで信長の名をとどろかせた「桶狭間の合戦」はbattleの範囲内であっただろうけれども、信長が少数の手勢で多数の敵方を打ち破った例は、この合戦以外にはほとんどない。
国内の制圧に手間取り、桶狭間で危ない橋を渡った経験が、信長をbattle的な発想から、経済力を基盤としたwar的な手法へ傾斜させていったのではないだろうか。
信長と言えば戦の名手、織田軍と言えば戦国最強というイメージが強いと思うが、実際の強みは、経済力にものを言わせ、戦上手な相手を物量で圧倒し、手こずれば何年でも粘って勝つまでやめないという身も蓋もない手法だ。
だから武田、上杉に対しては信玄、謙信が死ぬまで積極的には戦おうとしなかったし、信長と同等以上に経済力があり、政治・外交にも強い本願寺に対しては、十年以上かけてじわじわ孤立させていった。
このように考えると、信長の独創性が等身大で理解できてくるのではないだろうか。
2013年12月28日
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拙僧も同じ見解ですし、仮想戦記作家の佐藤大輔も同じことを述べております。
この通りだと思います。
信長をbattleの名人として描くか、warの次元で描くかで、その作品のリアルさのグレードが測れるかもしれませんね。
リアルだから面白いとも限らないんですけど(笑)