長らく放置しながらもずっと気にかかっているカテゴリ「琵琶法師」である。
kindle無料本で、小泉八雲「耳無芳一の話」を再読して、久々に記事投稿できそうなテンションになった。
●「耳無芳一の話[Kindle版]」小泉八雲(著) 戸川秋骨(翻訳)
kindle他の読書端末がない場合でも、小泉八雲の著作は青空文庫に収録されているので誰でも読める。
青空文庫 耳無芳一の話
この作品は、重層的な構造を持っている。
・まず、日本の中世〜近世に実在したはずの、逸話の元になった琵琶法師の存在。
・それが語り伝えられる間に「耳のない琵琶法師」の物語として、いくつかのバージョンに収斂される。
・小泉八雲という個性が、異邦人の視線で再話する。
・その文章が再度、日本語に翻訳される。
こうした成立過程の、とくに再話の段階で、物語には自身も左目の視力を失っていた小泉八雲による「心優しい改変」が行われているようだ。
この「耳なし芳一」という物語には、盲目であるということにまつわる、日本での神話的なイメージが集約されている。
・聴覚に優れ、気配を鋭敏に察知し、この世のものならぬ音(声)を聞くことができる。
・音曲や治療行為に関して才を持つ。
・そうした異能で迷える霊を鎮魂することができる。
・その名に「〜イチ」という符丁を持つ。
こうしたテーマについては、以前にも紹介した以下の本に、詳しい解説がある。
●「琵琶法師―“異界”を語る人びと」兵藤裕己(岩波新書)
私が「琵琶法師」というテーマに心惹かれるのも、おそらく幼児のころ弱視であったという原風景が関係していると思う。
幸い私は周囲の助力で視力回復に成功し、中高生の頃には左右の視力のアンバランスこそ残ったままだったが、かなり「視える方」になった。
それから長らく視力には不自由しない人生を送ってきたのだが、そろそろ年のせいか文字の小さな文庫本などは避けたくなってきた。(まだ読めることは読めるのだが……)
元々遠視だったので、老眼は早いのではないかと言われていた。
これから私は、ゆっくり「視えない」という原風景に還っていくのだろう。
別に何かを失うわけではない。
元いた所へ戻るだけだ。
最後に、以前描いていた「耳なし芳一」のイラストをアップ。
2014年03月30日
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