雑賀孫市が描かれた作品と言えば、代表的なのは司馬遼太郎「尻啖え孫市」になるだろう。
戦国最強の鉄砲部隊「雑賀衆」を率い、自身も天下無双の鉄砲名人。自由と孤独を愛しながらも、人間が好きで惚れっぽい好色家。「傾き者(かぶきもの)」に通じる奇抜な衣装に身を包み、困難な戦ほどやりがいを感じ、嬉々として買って出る。
この小説に描かれる雑賀孫市の姿は、限りなく魅力的だ。私の年代に通じる喩えで言えば、「北斗の拳」に登場する「雲のジュウザ」や、「花の慶次」の前田慶次にも似たキャラクターだ。(むしろ小説の孫市の方が後発のキャラクターに影響を与えているのだろう)
史料が少ない分、キャラクター造型に関しては司馬遼太郎の小説的な想像力に負う部分が大きいのだろうが、読んでいるとぐいぐいと引き込まれて、頭の中に鮮やかな孫市の姿が浮かんでくる。
雑賀兜(さいかばち)に金のヤタガラスの前立て、陣羽織の背にはヤタガラスの紋章、「日本一」の旗指物で朱槍を抱え、馬には雑賀鉄砲を縛り付ける。
傭兵部隊の長として戦国の世を自在に遊泳し、本願寺の大将として第六天魔王・織田信長と戦い、後一歩まで追い詰める。
ヒロインは鉄砲伝来の地・種子島の領主一族の血を引く鉄砲の女神「ぽるとがる様」、手に取る名銃は通常の二倍の射程距離を誇る「愛山護法」。物語を加速させる脇役や道具立ても、心憎いほどに完備されている。
戦の間も歌い、踊りながら自在に采配を振るう戦争芸術家の姿は、読む者の心まで広く開放してくれる。
ところで、作中で孫市が「八咫烏の末裔である」と説明するシーンがある。八咫烏は日本神話の神武東征にあたり、熊野の山道の手引きを請負った三本足の霊烏だ。
司馬遼太郎の短編にこの八咫烏を扱ったものがある。
短編集「果心居士の幻術」収録の「八咫烏」という作品だ。
神話と歴史の狭間の時代、熊野の地に生まれた国津神と天津神の血族のあいの子、八咫烏。差別と屈辱の中で、自分と同じ顔をした国津神一族の征服を助力する
暗く、陰鬱なトーンの作品。
孫市の鮮烈さとは好対照なイメージだが、併せ読むと、孫市が作中でふと見せる孤独な表情の、淵源に触れたような感想を持つ。
また、八咫烏の胸のうちのどろどろとした情念が、遥かな時を経て昇華されたような、そんな夢も見えてくる。
2007年04月23日
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