1、導きの舞
2、猿田彦の舞
3、天の岩戸開き
4、国譲り
5、大蛇退治
1はオープニング。2は「猿田彦」という、日本神話の「天孫降臨」に登場する神が踊るのだが、これもその場の邪気を切り祓う意味合いのオープニングの印象。
3〜5は記紀神話を元にしているが、エピソードやキャラクターの時間軸で言うと前後が入れ替わっている。「古事記」に描かれる順番に並べなおすと、こうなる。
3、天の岩戸開き
5、大蛇退治
4、国譲り
このように書くと混乱した状態に見えるかもしれないが、お神楽を観ている最中に不自然を感じることは無い。むしろ一貫したストーリーの流れを感じる。演目全体をアマテラスとスサノオの物語として捉えると、それなりの整合性が見えてくる。
まず「天の岩戸開き」で、(スサノオ自身は登場しないが)スサノオが高天原を追放された顛末が語られる。
次の「国譲り」では、直接スサノオもアマテラスも登場しないが、スサノオの子孫である国津神たちと、アマテラスの名代である天津神が戦い、国津神が国土を献上させられる過程が描かれる。これは「天の岩戸開き」においてはっきり表現されなかったアマテラスとスサノオの相克が、代わりに表現されていると見ることが出来るかもしれない。
最後の「大蛇退治」では、追放され、行き場を失ったスサノオが、ヤマタノオロチ退治という殊勲を挙げて、英雄神としての地位を勝ち取る過程が描かれる。
こうした神々の物語は、舞台上で演じられるだけではなく、常に客席に座る私たち人間との関わりも意識されている。
仮面をかぶり「神」となった神楽太夫は、要所要所で客席に語りかけ、実際に言葉のやり取りをする。お神楽が「はるか昔の出来事」ではなく、今現在進行中の物語であるかのように、人間たちを巧みに巻き込んで行ってしまうのだ。
演目「国譲り」のオオクニヌシは、打出の小槌を持った大黒様そのものの姿で客席に餅を撒く。今は衛生上の理由からか、ビニールで包装された紅白餅だ。昔は餅そのままを撒いていたのだろう。餅を拾った子供たちは夜分遅くにそれを家に持ち帰り、神様から直接もらった証拠品、神話が本当にあったことの証拠品を、大切に味わってから眠りについたことだろう。
演目「大蛇退治」に登場するアシナヅチ(翁)テナヅチ(媼)の二神は、娘を嫁にやる年老いた父母そのものだ。介護や年金などの時事ネタも絡めながら、客席の人間たちと全く同じ立ち位置で、共感と笑いを誘う。
中でも「神話現在進行中!」を印象付けるのが、同じく「大蛇退治」に登場する松尾(マツノオ)明神だ。
タレ目でひょうきんな風貌のこの神様は酒造りの守護神で、スサノオが大蛇退治に使うための濁酒を醸す役回りだ。しかしその本来の役回りはどこへやら、登場した時間の大半を、観客に向けてのおしゃべりで使ってしまう。綾小路きみまろばりの軽妙なトークで大いに場を暖め、スサノオと大蛇の最終決戦に向けて客席の心を舞台に集中させてしまう。
そして迎えた最終決戦の顛末は、先回紹介した通り。
激しい戦いの末、スサノオが大蛇の尾から取り出した剣は、アマテラスに献上される。
これはもしかしたら、「天の岩戸開き」から続く長い姉弟の相克の、和解のイメージなのかもしれない。
登場する神々の持つ感情がひとまず清算されてこそ、神話の時間に巻き込まれた私たち観客も、日常の時間に戻ることが出来るのだ。