前回の記事でテーマにした胎蔵曼荼羅は、中期密教を代表するもので、大日如来を中心に大乗仏教で親しまれた様々な仏尊やインドの神々を網羅した宇宙観を表現している。
いわばインドで起こった神仏習合図像だ。
中期密教は胎蔵曼荼羅で宇宙サイズにまで大風呂敷を広げた後、新しい秩序を金剛界曼荼羅で打ち立てて、現在のチベット仏教に続く後期密教へと進化していく。
平安時代に中国を経て日本にもたらされたのは中期密教までで、進化の最終段階の後期密教は現在チベット周辺に伝えられている。
金剛界曼荼羅以降になると、通常の大乗仏教とは違う仏尊名が増えてくる。日本では大乗仏教が民衆に親しまれているので、見知った仏様が多い胎蔵曼荼羅の人気が高いようだ。
金剛界曼荼羅、とくに日本の「九会曼荼羅」と呼ばれる形式のものはかなり知的に構成されているので、直感的に伝わってきやすい胎蔵曼荼羅と比べると、鑑賞するにも予備知識が必要だ。
五智如来で表現される「中心と四方」の基本構造で宇宙を隅々まで整然と再構成し、必要な仏尊を新たに創造してあるということを知ると、鑑賞のとっかかりができる。
私は絵描きなので、元来は知的なものの観方より感覚的なものの観方の方が馴染みやすい。
整然とした秩序より、矛盾を飲み込んだ大風呂敷に心ひかれる。
だから伝真言院曼荼羅でも胎蔵界の方に好みが傾き勝ちだったのだが、知識を得てみると、曼荼羅の構造としては金剛界の流れの方が進化していることは理解できた。
そして、一旦知的に完成された冷徹な金剛界曼荼羅に、再び混沌のエネルギーを注ぎ込んだチベット密教の図像に関心が向くようになった。
チベット現地へは行けないので、様々な展示や図版を渉猟するうちに、いくつかの好きな曼荼羅ができた。
日本の曼荼羅の場合と同じく、時代が下って表現様式が完成、固定化される前の、古く素朴な筆致のものがやはり気になった。
中でも惚れ込んだのが、アルチ寺院の壁画に描かれているという謎の金剛界曼荼羅だ。
中心部の五智如来が女性形で描かれている特異な図像である。
チベット密教図像と言えば父母仏の偉容が論じられることが多いが、それともまた違った静かな衝撃を感じる。
上掲の図像は、以下に紹介する書籍の中から、概容がわかる程度に縮小して引用している。
興味のある人は書籍にあたってほしい。
●「ラダック曼荼羅―岩宮武二写真集」 (岩波書店)
●「マンダラ(出現と消滅) ― 西チベット仏教壁画の宇宙」松長有慶 監修、加藤敬 写真(毎日新聞社)
このアルチ寺院の金剛界曼荼羅もまた、いつか取り組んでみたいモチーフである。
できることなら実物の前に立ってみたいが、たぶん今生ではその機会が訪れることは無さそうに思う。
だからこそ自分で大きなサイズのものを描き、視界をその曼荼羅で埋めてみたいのだ。
2015年04月24日
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