高野山に触れたら、空海についても書いておかなければ。
以前、このブログでも何かの折りに、「弘法大師空海双六」というものをアップしたことがあったと思う。そのカラー版が出てきたので、この機会に紹介しておこう。
(クリックすると画像が大きくなります)
表題の「縁日画報」というのは、私が2001年頃から断続的に少部数発行していたミニコミ紙で、もちろん当ブログ「縁日草子」の母体になった。
双六は日付によると2003年の作品で、もう一巡り昔になってしまったか。
前回記事の高野山に関する文章も、この号に掲載されていた。
同じ号で空海と密教についても雑文を書いている。
今読んでも「悪くない」と思った部分を抜粋しておこう。
【密教について】
真理や法は本来形や言葉では表せない。しかし人は五感を含めた身体で、形や言葉によって真理や法をとらえるしかない。密教では真理への入り口として身体を活用する。様々な儀式を行い、仏像仏画や曼荼羅を作成し、目で見て耳で聞き、鼻でかぎ、触り、味わう表現を重視する。仏像は仏そのものではないけれども、仏を感得するための舞台装置として機能する。高野山や東寺は絢爛たる色と形のテーマパークである。
【金胎両部曼荼羅について】
胎蔵曼荼羅は大日如来を中心に、全宇宙の様々な仏菩薩や神々、怪物までを包含した「宇宙大の大風呂敷」である。
金剛界曼荼羅は大風呂敷の雑多な中身を整理整頓するための学習プログラムである。
【即身成仏について】
身口意の三密は「ポーズとセリフと役作り」に喩えられる。仏を表す印を結び、仏を表す真言を唱え、心にありありと仏の姿を観想することで、密教僧は仏を演じきる。参拝者と演者である僧の間で、そこに仏が確かに実在するという感覚が生まれることが即身成仏で、弘法大師は千両役者。
【各地の空海伝説について】
度重なる災害、困窮する民衆、誰も成功しない土木工事。そこに颯爽と登場する、数々の逸話に彩られたスーパースター、弘法大師空海。スターは堂々と仏を演じきり、「大丈夫、必ず工事は成功する」と、仏の権威をもって断言する。
うちひしがれていた民衆は奮起し、空海は唐から持ち帰った最新技術を提供する。各地に残る土木工事の伝説は、空海と民衆の力強く美しい合作である。
2015年05月17日
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