反原発ネタはその一つだ。
最近、ちょっと見過ごせないニュースを目にした。
とは言え、あまり大きな話題ではなく、地方の神社にまつわるローカルニュースである。
西宮市に越木岩神社という、地元ではけっこう知られた古社がある。
神事としては、赤ちゃんの息災を祈願する「泣き相撲」が有名なのだが、なんと言っても「甑岩」という巨大な磐座(いわくら)の偉容が素晴らしく、私も何度か参拝したことがある。
高砂市の生石(おおしこ)神社の「石の宝殿」ほど有名ではないけれども、私は同じくらい好きだ。
今回ニュースになったのは、神社の北東側にいくつか現存していた「岩」についての話題である。
経緯についてはwikiで簡潔にまとめられていたので、そのまま引用しておこう。
磐座の保護活動
神社の北東側に社叢林があり地域の共同所有であったが、50年程前に夙川学院の要望で(磐座の保存及び遥拝所に配慮すると言うことで)売却された。夙川学院は磐座に配慮して夙川学院短期大学を建築したが、ポートアイランドに移転するに当たり、夙川学院は不動産業者に売却してしまった。不動産業者は集合住宅を建築するに当たり磐座を破壊撤去するとしており、神社側は磐座の保存を働きかけている。
まあ「よくある話」ではある。
古くからの神社仏閣の境内の森が、景観や信仰に十分配慮することを条件に民間に売却され、時が流れて第三者の手に渡ることで当初の「約束」が無視されてしまう。
法的には問題ないということで、日本各地で同じようなことが頻発している。
今回の論点は、問題の敷地内の「磐座」をどう認識するかにある。
業者側はこれを単なる「岩」と認識し、マンション建設に邪魔なので破壊撤去することに何の問題もないとしている。
確かに、問題になっている「岩」は特に指定された史跡というわけでもなく、法的には「岩」に過ぎない。
しかし、越木岩神社から北山、甲山、六甲山にかけては無数の「磐座」とおぼしき巨石群が存在していて、まだ公的な研究は進んでいないものの、なんらかの古代信仰の跡ではないかということを、ロマンとして多くの人が語ってきた経緯がある。
(個人的には播磨国風土記で活躍する「伊和大神」と、兵庫県南部の巨石信仰の関係には興味を持っている)
ともかく、一旦破壊してしまえば、遺構であるかどうかの研究すらできなくなってしまうのだ。
開発業者があくまで「破壊撤去」にこだわる理由は、有り体に言えば「コスト」なのだろう。
しかし、地元で親しまれた隣接する古社の意向を無視したマンション建設は、長い目で見て本当に「低コスト」なのだろうか?
信仰対象(だったかもしれない)岩を破壊して建てたマンションという負のイメージは、結果的には高くつくのではないかと思うのだ。
「磐座」の保存については、越木岩神社が先頭に立って運動を続けている。
越木岩神社ブログでは、署名活動も継続しているようなので、興味のある人はのぞいてみてください。