2015年06月27日

書きたいならば

 90年代後半、世を震撼させた少年犯罪の当人が、著作を発表したという。
 今のところその本を買って読むつもりは無く、人に紹介するつもりもない。
 出版に関わるネット上の議論に加わるつもりもないので、検索避けに書名等は一切書かない。
 ただ、事件発生現場から一時間以内の距離に居住していた当時の記憶と、「ものを書くこと」ついての個人的な考え方を覚え書きにしておく。

 事件は90年代の世相を語る上で欠かせないものとして、大震災、カルトの引き起こした無差別テロと並んで記憶されている。
 犯人がまだ十代前半だったことが、犯行の凶悪さと比して衝撃的だった。
 事件発生当時、私の居住していた区域は大震災から二年目で、その名残がまだまだ目についていた。
 さすがに瓦礫は片付けられ、ライフラインは復旧して日常生活は戻っていたものの、被災者の精神と経済状態は「非常時」を脱しきっていなかった。
 そんな中、程近い地域で発生した凶悪犯罪である。
 余裕の無い被災地域の住人にとっても、やはり衝撃は大きかった。
 幼い子供を守るために送り迎えや公園遊びは「厳戒体制」に近い状態だったと記憶している。
 
 逮捕に至る前に報道等でプロファイルされていた犯人像は、過去に起こった類似すると思われる犯罪から、実際よりもっと年齢が高く想定されていた。
 報道は警察からのリークが元にされるので、捜査でも当初はそのような犯人像を想定していたのだろうと思う。
 地元の日本最大のヤクザ組織が、面子にかけて独自に犯人を追っているという噂もあったが、結局めぼしい成果は現れなかった。
 もし噂が本当だったとしても、ヤクザの守備範囲であるアウトローや不良の界隈からは、何も情報が上がってこなかったのだろう。
「犯罪歴がなく、付き合いの広くない、ある意味マニアックな嗜好をもつ20代から30代男性」
 毎日のように報道で流されるそんなプロファイルは、当時の私の属性そのものだった。

 事件以前、私は好んで夜の散歩をしていた。
 震災前は海沿いの工業地帯の夜景を眺めるのが好きだったし、風呂なしアパートだったので散歩がてら遠くの銭湯まで出掛けることも度々だった。
 震災後も、破壊された街が徐々に片付けられていく中を、物思いに耽りながら歩き続けていた。
 そんな夜の散歩は学生時代からのささやかな楽しみだったが、事件発生直後から控えるようになった。
 頻度を増した職務質問に閉口したのだ。
 元々学生街だったこともあり、夜間に若者が往来していることには比較的寛容な地域だったと思うのだが、震災やカルト宗教の一件があって警戒レベルが一段階上がっていたところに、近接する地域の凶悪犯罪がきっかけで、さらに厳しくなった感触があった。
 もちろん私は事件とは無関係だったが、何かのきっかけで職質がこじれたら面倒だなと思ったのを覚えている。
 ボロアパートの自室には宗教関連の本が山積みになっていたし、他人には何を描いているか分かりにくいであろう絵がいっぱいあったし、劇団時代に使っていた工具類もまだ豊富に残っていた。

 我ながら、怪しすぎるのである。

 その2年前のカルト宗教の事件の時も、職質には警戒していた。
 折悪しく、私は頭を丸めていた。
 別に出家していたわけではなく、震災の影響で中々風呂には入れなかったせいなのだが、坊主頭と年齢層、怪しい自室の様を自覚していたので、なるべく職質に会わないよう気を付けていた。
 牧歌的な学生街の雰囲気が失われ、変にぎすぎすした監視体制への移り変わりを、身をもって体験してきたのだ。

 あれから時は流れ、犯人ももう三十代になるという。
 私は罪を犯した人間が手記を発表すること自体は否定しない。
 これまでにもいくつかそうした手記は読んできた。
 読んで自分の中にも存在する狂った部分を知り、たまたま巡り合わせで罪を犯さずにこれまで生きてこれた幸運を知った。
 しかし、今回の件のように、今になって匿名でというのは筋が通らないと思う。
 低年齢の特異な凶悪犯罪ということを考えれば、本人の責任の及びがたい資質や環境の面も考慮しなければいけなかったのは理解できる。
 自ら犯した罪を悔い、誰でもない市井の一人として残りの人生を償いにあてると言うならば、匿名に守られることも理解できる。
 しかし、事件のことを書きたいならば、話は別だ。
 被害者遺族の感情を無視しても、書いたものを世に出したいと言うならば、名前と顔を出すべきだ。
 ぶっちゃけ、出せば売れるのである。
 ものを書き、しかも自分の犯罪行為を売り物に、少なくない銭を得るならば、一切の甘えは許されない。
 顔と名前を晒し、世界中から罵られ、石もて追われる覚悟がなければ、釣り合いがとれない。
 その程度の覚悟のない手記は、読む前から「読む価値無し」と断定できる。

 少なくとも、私はそう考えるのである。
 
posted by 九郎 at 20:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする
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