2015年08月23日

記憶の底2

 寝る前の空想、妄想は他にもある。

 寝床から見上げる天井には、電灯が吊り下げられている。
 70年代のことなので、灯籠を模した外枠の中に円型の蛍光灯が二段重ねになっており、夜間はぼんやりオレンジの豆球だけが点されていた。
 幼児の私は光の無い円型蛍光灯に重なって、バチバチと細かな火花が弾けているような幻を見ていた。
 火花はやがて勢いを失い、豆球のオレンジに集まって、ボタッと落ちてくるだろう。
 もし落ちてきたら、もう何もかもお終しまいになってしまうのだ。
 私は絶望的な気分になりながら、身動きできずにじっと上を見つめている……

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 これなども、今から考えると線香花火が燃え尽きる情景あたりから連想していたのではないかとも思うのだが、我がことながらはっきり断言はできない。

 記憶の古層は無気味なイメージに満ち満ちている。
 もう少し大きくなってからの情景も、記憶に残っている。
 幼稚園への通園風景である。
 地区の児童を何人か、引率の大人が二人ほどついて、園に送り届けている。
 幼児集団の引率は難しい。
 一人一人が我侭な王子様、お姫様で、まだ群れの秩序が身に付いていない。
みんなと一緒に歩くというだけのことがけっこう難しかったりするので、しばしば阿鼻叫喚の修羅場になる。
 そこで、秘密兵器が登場する。
 縄跳びの縄をいくつも編んで、持ち手の部分をたくさん出して作った引率器具だ。

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 持ち手の部分に幼児を一人ずつつかまらせて、ちょうど「電車ごっこ」のような雰囲気で引っ張って行くわけだ。
 うまく子供たちをおだてながら、楽しい雰囲気で騙し騙し園に送り届ける。
 こうしてしたためてみると、なんとも珍妙な風景で、どこまで本当にあったことなのかは、私自身にも定かではない。
 川沿いの土手を、ロープで繋がりながらみんなと並んで行進した。
 土手から見下ろす稲刈りを終えた田んぼには、ビニールシートが風にパタパタなびいていた。
 そんな細部の情景まで含めて、夢のように淡く記憶の底に残っている。

 それからはるかに時は流れて、私は自分の記憶の中の「電車ごっこ」の通園とよく似た風景を、TV画面の中に発見して「アッ!」と叫ぶことになった。
 それは1997年、幼児連続殺傷事件の異様な緊張に包まれた、神戸の街の1コマだった。
 近隣の保育園や幼稚園の通園は厳戒態勢となり、引率の保護者の皆さんが、間違いなく全員を送り届けるために、幼児にロープを握らせて行進させている情景がTV画面に映し出されていた。
 私の70年代の「記憶の底」が、90年代の無気味な事件とシンクロして蘇ってきたのを覚えている。
 そして2010年代の今、同じ記憶がまた浮上してくるきっかけとなる報道があった。
 あの事件の元少年が、手記を出版したと言うのだ。
 私自身は、件の手記を手に取るつもりも他人に勧めるつもりもない。
 様々な議論に加わる意欲も無い。
 書きたいならば、世界中から石を投げられる覚悟で実名を出せと思うし、そこまで踏み込めない表現に、読むべき価値があるとは思えない。
 ただ、70年代、90年代、2010年代には、世相というか時代の空気のようなものに、何か共通点があるのかもしれないと、あれこれ考え続けている材料にはしている。

 幼い頃の「記憶の底」には、どこか怪異なトーンが混入していることが多い。
 さきに書いた「電車ごっこ」の通園風景の中、記憶に刻まれた、忘れられない怖い思い出がある。

 二、三人の大人に引率された幼児の集団が、川沿いの土手から降りて集落にさしかかる。
 幼稚園の近くなので、他の通園グループも集まってきている。
 園児の弟か妹だろうか、小さな乳幼児を抱いた母親が行列を見送っている。
 抱かれた子供は「おやつのカール」をしゃぶりながら(まだ噛めない)、お兄さんお姉さんたちの通園風景を熱心に眺めている。
 幼児の私を含む「電車ごっこ」の列が、その母子の横を通りすぎようとした時、突然悲鳴が上がった。
「ヒキツケ! ヒキツケや! 誰か梅酒持ってきて!」
 異様な光景だった。
 それまで「おやつのカール」をしゃぶっていた小さな子供が、母親の腕の中でぐったりしている。
 母親は必死の形相で叫んでいる。
 どうやら子供が「ヒキツケ」を起こしたので、気付けに梅酒を持ってきてくれと叫んでいるらしい。
 当時、そのような民間療法があったのだろうか?
 幼児の私は恐怖に凍りつき、その光景は記憶の底に焼き付けられる。
 その後、母子がどうなったのかは全く記憶に残っていないが、私の中で「おやつのカール」と「梅酒」は、「ヒキツケ」の不吉なイメージと固く結びついた。
 その後、小学校の高学年ぐらいになるまで、私は「おやつのカール」を食べることをひそかに恐れていた。
 おやつで出されても一人だけ手をつけず、他の子供が美味そうに食べているのを、怖々眺めていた。
 カールおじさんの登場するほのぼのとしたあのテレビCMにも、どこか無気味なものを感じていた。
 梅酒に対してもあまりよい印象はなく、大人になってからも、自ら進んで飲むことはなかった。
 しかし、どうやら自分の忌避衝動の源泉が、幼時の記憶と結びついた「思い込み」にあるらしいことを自覚してからは、特に嫌うこともなくなった。
 おやつのカールと梅酒への苦手意識を克服した時、私は大人になったのかもしれない(笑)
posted by 九郎 at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする
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