イラストレーター、生ョ範義先生がお亡くなりになったようだ。
以前の投稿した関連記事を加筆再掲して追悼としたい。
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送付されてきた!!!
以前にも記事にしたイラストレーター生ョ範義(おうらい のりよし)展の図録である。
私が最もリスペクトするイラストレーターの一人が生ョ範義先生で、展示とあれば是非とも駆けつけたいところなのだが、なにせ九州開催・・・・・
せめて図録だけでも手に入れようと思ったのだが、その時点で通販の受付はすでに終了していた。
3月1日から始まった二次受付になんとか滑り込みで間に合い、待ち焦がれていた図録が送付されてきたのだ。
じっくり見る。
じっくり視る。
じっくり観る。
色々記憶がよみがえってくる。
私が「生ョ範義」というやや難読の名を、その独特の強烈な作風とつなげて認識したのは中高生の頃だった。
当時の私はSF作家・平井和正の作品に耽溺しており、その頃の平井作品の挿画の大半を担当していたのが生ョ範義だったのだ。
日本人が描いたとは思えないような重厚で豪華な画風に圧倒され、表紙絵等のバージョン違いのためだけに平井作品を買い漁ったりしたことを、懐かしく思い出す。
そこから遡って、それ以前に接した吉川英治の三国志イラストや、映画「スターウォーズ」のポスターなども氏が手がけた作品であったことを知り、驚愕した。
さらに子供の頃繰り返し開いていた学研の図鑑「人とからだ」の、超絶人体イラストも氏が手がけていたことも知り、驚愕は重なる。
当時から自分でも絵を描いていた私は、その画風の万分の一でも吸収しようと、油絵のように厚塗りできるリキテックスを買い込み、修練に励んだ。
とくに「幻魔大戦」シリーズの荒々しいタッチの表紙絵は、生ョイラストの表現上の特徴がよく表れていて参考になった。
例えば以下のようなイラストには、はるかに時の流れた私の画風にもその影響が残っている気がする。
(あくまで「影響」ですよ……)
遅ればせながらCGで描くようになってからも、私はあまり多くの機能は使わず、どこか「手描き」風味にこだわり続けているが、その源流が生ョ範義先生にあることは間違いない。
今回の図録、過去に出版された作品集に寄せたご自身の言葉なども収録されている。
そう言えば私が学生の頃、図書館で1980年代に出版された画集を見つけ、何度もくり返し借りたり、飽きずに閲覧し続けたりしたことも思い出す。
多分図書館にあったあの本を一番多く開いたのは私ではないだろうか(笑)
映画のポスターも多く手がけられた生ョ範義先生の画風を眺め続けたおかげで(?)、学生時代に映画館の看板描きのバイトをやった時も「なかなか速くて上手いな」と社長に褒められたっけ。
90年代当時ですら、もう手描きの映画看板は絶滅寸前だったので、あれはいい経験だったなあ……
絵を描くことが収入につながったのは、あのバイトが最初だった。
少し前の新日曜美術館アートシーンで、この展示のことが取り上げられていて、ご本人の映像も少し流れていた。
車椅子の姿が少し気になっていたのだが、今回送付されてきた図録の解説によると、わがイラスト魔神は今、病と闘っておられるそうだ。
脳梗塞の後遺症で、もう2年ほど絵筆をとれない日々が続いているという。
魔神再臨を強く強く希う。
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以上、一年半前の記事である。
記事中の平井和正先生も、今年の1月にお亡くなりになった。
ただただ、惜しい。
2015年10月27日
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