夢にまつわる最古層の記憶の一つに、保育園に通園するバスの中の情景がある。
保護者に連れられて路線バスに乗っているとき、突然「ずっと前にこの場面を見た」と、はっきり感じた。
当時の私はまだ幼児なので、もちろん「既視感」という語彙は無い。
幼い私は、その生まれて初めてのデジャヴ体験と同時に、自分が数カ月に一度、いくつかの同じ夢を繰り返し見ていることに気付いた。
そして序章「記憶の底」で紹介したような入眠時の幻想と相まって、「眠り」や「夢」について、強い興味を抱くようになったのだ。
以来、ずっと夢についての考察を緩やかに続けている。
緩やかに、と但し書きをつけているのは、夢について深刻に思いつめたり、何か物凄く価値のある探究をしていると勘違いすることなく、という意味だ。
読書したり散歩したりという行為と同様、日常的な趣味、楽しみとして、私は夢と関わり続けてきた。
なんとなく、あまり他人に話すようなことではないとわかっていたので、一人ひっそりと考え続けていた。
繰り返し見ていた夢の中で、記憶する限り最古のものが、こんな夢だ。
「塊」
体育館のような板張りの広間。
屋内は薄暗いが、外の光が差し込んでいて、逆光の中にたくさんの人影が浮かんでいる。
幼児の私は「ああ、この場面は何度も見た」と思っている。
周囲の人々は、大人も子供も楽しげに運動したり遊んだりしている。
私は何か大きな塊を押している。
運動会の大玉転がしのように、「それ」を一人で転がしている。
塊は黒くてゴツゴツしており、金属のようだ。
無数にひび割れが走るその塊を転がしながら、私は「それ」が何か非常に危険なものであることを悟る。
毒物のような、爆発物のようなもので、とにかくこのまま転がし続けると大変なことになってしまうとわかっている。
周りの人はその危険に全く気付いていない。
幼児の私は恐ろしさに震えながら、それでも止めることができずに塊を転がし続けている。
塊はだんだん大きくなってくる。

この夢はかなり長期にわたって見ていた。
数か月に一度ほどの頻度だったが、幼児の頃から小学校高学年くらいまでは見ていたと思う。
かなりの悪夢なので印象深く、「ああ、またあの夢を見た」と記憶に刻み込まれていた。
この夢に関連していると思われるのが、小学生の頃に見た夢だ。
次回の記事で紹介する。