恐ろしいことになった。
広い道路には人間がばたばたと倒れて死んでいる。
死体以外に見当たらず、停まっている車の中でも人が死んでいる。
毒ガスのせいだとわかる。
このままでは私も危ないが、子供の私は非難所から出てきたばかりなので毛布一枚しか羽織っていない。
再び毒ガスが出てくれば防ぐ手立てはない。
不意に、体に巻きつけた毛布から、黄色い気体が噴き出してくる。
非難所で配給され、安全だとばかり思い込んでいた毛布が、化学反応を起こして毒ガスを噴き出したのだ。
絶望的な気分で毛布を捨て、その場から逃げる。
この分では人工合成物は何一つ信用できない。
しかし合成物はどこにでもあるので、逃げる場所は残されていない。
無駄だと思いながらも、走るしかない。
今度こそ死ぬな、と思っている。

私が記憶している中でも、一番恐ろしかった悪夢の一つである。
夜半に目覚めた小学生の私は、それが夢だとわかっていても、恐怖にがたがた震え続けていた。
当時は70年代の終盤で、小学校の教科書でも公害の惨禍が取り上げられ、子供向けのTV番組では「文明の暴走」をテーマにした作品が毎日のように放映されていた。
そんな世相が子供の無意識の領域にも反映されていたのかもしれない。
それから時は流れた90年代、カルト教団の起こした毒ガステロや、化学物質過敏症を扱ったニュースを見るとき、私はいつもこの夢のことを思い出していた。
2010年代の今もよく思い出す。