眠りに落ちる瞬間は、一体いつなのだろう?
子供の頃からずっと気になっていた。
おきている状態と眠りの境目がどんなものか知りたくて、小学生の頃から試行錯誤を続けていた。
色々試したがなかなか分からず、気がついてみれば眠っていたり、夢の中にいたりした。
そうこうしているうちに時は流れて中学二年の頃のこと。
私はついに「自分が眠りに落ちる瞬間」を体験した、と感じた。
床に着き、目を閉じる。
まぶたの中の、想像上のまぶたが幾重にも閉じていき、布団の上に寝ている自分がゆっくりどこまでも「下」に沈み込んでいくイメージ。
やがて意識がふっと途切れ、眠りに入ることができる。
今考えると、「眠りに落ちる瞬間」そのものというよりは、「このようにイメージすれば眠りに入りやすい」というパターンのようなものだったのではないかと思う。
そうしたイメージを記憶し、私は眠りの度ごとにそれをなぞるようになった。
高校生になる頃には、静かでリラックスできる環境なら、わりと意識的に入眠できるようになっていた。
のび太くんレベルである。
ある程度自由に眠りに入れるようになると、それがきっかけになって夢のコントロールも試みるようになった。
結果、「コントロール」と呼べるほど大したことはできなかったが、多少の自由は効くようになった。
二十歳前後の頃には、そうした私の「夢見術」は最高潮に達していて、調子が良ければ夢の中でけっこう自覚的に行動できるようになっていた。
好きだった「空を飛ぶ夢」の中での技は以前紹介したことがある。
その他にも、例えば眠る前に手に握ったものを夢の中に持ち込むのも何度か成功した。
夢の中で「これは夢だ」と自覚し、その後も目覚めることなく夢を見たり、一度目覚めて夢が中断された時、もう一度眠って続きを見たりすることも、わりに出来るようになっていた。
現実の絵や文章の続きを夢の中で描き、そこからヒントを持ち帰ったりすることも度々あった。
学生時代の卒業制作の頃、それでかなり助かった。
締め切りに追われ、泊まり込みでサイズの大きな絵を描き続けていた時、行き詰まったら仮眠をとることで「夢のお告げ」を得て見通しを立てることが度々あった。
夢の中で何か謎めいたことを教えられ、ずっと後になってふと思い当たることも、時々ある。
その中の一つ、以前記事にした「夢告」を、次回再掲しておこう。
2016年02月21日
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