1月17日である。
私にとっては何よりも阪神淡路大震災被災の日、あれからもう21年たった。
忘れ得ぬ記憶も多いが、時と共に風化する部分もやはりある。
まずは、防災意識を。
昨年は震災に加え、私が最も影響を受けた作家である平井和正さんの訃報があった。
この一年、平井和正の晩年の様子はも、ネットを通じてわずかに漏れ聞こえてきた。
最後の数年は気力体力ともに落ち、作品を紡げる状態ではなかったようだ。
あの平井和正が、という思いは当然ある。
書くことが生きることとほぼイコールであるような生き様を貫いてきた作家である。
その平井和正ですら、書き続けて死ぬことはできなかったのか。
同時に、やはり平井和正も、という思いもある。
歳をとれば体は衰える。
体が衰えれば気力も衰えるという人間として当たり前の変化は、いくら作家として稀有な存在であっても避けようがない。
私はとくに80年代後半から90年代前半にかけ、平井作品を読み耽っていた。
90年代は震災とカルトの印象が強烈で、私自身もその波をまともに受けていたのだが、平井作品の愛読者であったことは、しぶとく生き延びてこれた原動力の一つになった。
いくら感謝してもしきれないのである。
90年代と2010年代の世相が似て見えることについては、これまでにも何度か書いてきた。
90年代を引きずりながら、なんとかそのおとしまえをつけようともがいている同世代を見かける機会も多い。
私自身のおとしまえも、何らかの形でつけていかなければならない。
2016年01月17日
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