2016年02月11日

そう言えば……

 2月9日は手塚治虫の命日だった。
 マンガの神様が亡くなったあの年、私はまだ少年で、翌日はかなり遅刻して学校にいったっけ。

 幼少の頃から親の揃えた「火の鳥」や「ブッダ」を読み、「ブラックジャック」にハマってきた。
 年代的に手塚が「大人向き」を描きはじめて以降の読者なので、年相応の「アトム」や「ジャングル大帝」はむしろ遡って読んだ。
 中高生になってからは、「作家」としての手塚を学ぶように読んでいた。
 そんな中での訃報に、子供ながらいっぱしの喪失感を抱いたのだ。

 翌日、いっそ学校をサボってやろうかと思っていたのだが、英語のY先生の授業が、その日で最後だと気付いた。
 勉強そっちのけで絵やイラストばかり描いている私を、付かず離れずで気にかけてくれた先生だった。
 英語という教科に対して全く意欲が湧かなかったのは、ある面ではY先生のかなり厳しめの指導が原因だったのだが、授業中の容赦のなさとは無関係に、絵を描く面では私を認めてくださった。
 クラス担任等で本格的に受け持ってもらったことはないが、校内で折りにふれ声をかけてもらったことには義理を感じていた。
 仕方がないから顔だけは出しておこうかと学校に向かい、恐る恐る教室のドアを開けた。
 今のように体罰御法度の時代ではないので、一発二発張り飛ばされることは覚悟の上だったが、その日のY先生は常になく寛大だった。
「……おお、来たか」
「遅れてすみません」
「手塚治虫、死んだな」
「はい」
 Y先生は頷くと、「まあ、座れ」とお咎めなしで授業を再開した。
 何事もなく授業時間は過ぎ、先生はさらりとおしまいの挨拶をして最後の授業を終えた。
 
 肝心の授業中は全く意欲のない私だったが、Y先生のとってくれた距離感はその後もずっと記憶に残り、描き続けることの支えの一つになった。
 熱心に暑苦しく関わるのだけが良い先生ではないのだ。

 絵を描く子供と関わるときは、距離感が大切だ。
 もし今の私が少年時代の自分に声をかけるなら、何と言うか?
 難しいところだが、夢枕獏の小説に出てくる怪しい凄腕老人のように、けくけく笑いながらこう言おうか。

「おめえよ、描けるようになるぜ」
「?」
「おめえがいつか描きたいと思ってる絵が描けるだけの技量は、いずれ持てるってことよ」
「??」
「続けてればな。それが一番むずかしいんだが……」
「???」

 こんな感じか。
posted by 九郎 at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 神仏絵図覚書 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
絵を描く人、音楽のできる人、科学のできる人、何かしら才能のある人を世間の尺度に押し込んでしまうのは気の毒ですね。
子供のうちから見抜けるようであればその方を専門にさせる社会のシステムであればいいのに。
日本だけでなく、世界がそうなるにはあと100年くらいはかかりそうですな・・・
Posted by makakaraten at 2016年02月12日 18:04
makakaratenさん、コメントありがとうございます。

科学はよくわからないのですが、表現の分野でいいますと、一応オーソドックスな教育課程を受けてみて、結果として「はみ出す」という体験には意味があると思います。
はみ出したとき、周囲に一人でも二人でも適度な距離感で理解してくれる他者がいると良いのですが、昨今は教育も社会も多様性が失われて、遊びの部分がどんどん無くなってきてしまっている感じがありますね。
Posted by 九郎 at 2016年02月13日 20:22
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