本日、3月11日は東日本大震災から五年の日です。
あらためて津波について復習しておきましょう。
私はもちろん専門家ではありませんが、阪神淡路大震災の被災経験があり、また一時期(3.11以前になるが)津波被害予測の資料作成をバイトで手伝っていましたので、多少は書けることがあります。
以前投稿した記事にをベースに、まとめてみます。
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日本は世界でもまれにみる地震国だ。
四つのプレートの力が拮抗する地点に出来た細長い「でっぱり」に過ぎず、その狭い国土の中には中央構造線をはじめ、無数の活断層が毛細血管のように走りまわっている。
地震の活動期に入ったとも言われるこの列島に、時限爆弾のような原発が多数セットされている。中にはわざわざ危険で脆弱な地点を選んで造ったような原発、核関連施設も多い。
人間のサイズから見ていくら安定した地盤に見えても、沖縄や小笠原諸島、北方領土、そして地中や近海の海溝まで含めたスケールで俯瞰してみれば、それがいかに危険で愚かな行為か、感覚として分かりやすい。
世界地図上から見た場合、海外からの日本に対する視線、印象も、こうした危険極まりないものになることは想像に難くない。
こうした列島の地質的構造から、今後いくらでも巨大地震、それに伴う巨大津波は襲ってくると予想される。
地球の間借り人である人間は自然災害自体を避けることはできないが、知恵を使ってなるべく被害を少なくすることはできる。
とくにこの日本のような自然災害頻発列島にすむ人間は、もっともっと謙虚にならなければならない。
この国土に商業ベースで原発を建てるという選択は、やはりあり得ないと考える。
東日本大震災も、原発震災になってしまわなければ、復興はもっと進んでいたに違いない。
東日本大震災では、なんといっても巨大な濁流が街を飲み込んでいく大津波が恐怖を呼んだ。
沖合で巨大地震が起こると想定される沿海部では、3.11以降、津波対策の避難計画や、訓練が行われるようになってきていると思う。
避難計画が作成されること自体は大変けっこうなことで、何もされないよりははるかにマシなのだが、あまり過信してはいけないと思う。
各自治体によって計画の立て方は様々だろうが、自治体(とその発注を受けたコンサルタント会社)が作成できるのは、あくまで「その町の現状の中で、可能な範囲の避難計画」に過ぎない。
あまり想定を厳しくすると、「そもそもその町に住んでいる限りは助からない」という身も蓋もない結論になってしまう。
避難計画の前提になる想定が「考え得る最悪」ではなく「なるべく現状のままで避難計画が策定できる範囲内」に落としこまれるという、ある意味で逆転した傾向は、けっこうあると思う。
たとえば目立った高台のない海辺の漁港などでは、津波の想定を、たとえば「6メートル程度」にしておかないと、実質的に避難場所が無くなってしまう。
3.11以降はかなりシリアスに津波対策を考える土壌ができつつあると思うが、それでもいまだに、自治体側ばかりではなく、住民側にも「ことを荒立てるような被害想定」を忌避する傾向はあるだろう。
ともかく、そのように想定された津波の高さから、地図上の標高データで足し算引き算をしながら水没する地域が予測され、PCで水位別に色分けされた画像が作成されて、配布されたりもする。
しかし、そうしたマップは、あくまで「参考」程度にしておいた方が良い。
現実の津波は「ひたひたと風呂の水のように増えてくる」わけではなく、「沖から濁流となって押し寄せてくる」ので、単純に色分けして塗られた被害予測地図のようにはならない箇所も多いだろう。
河口や水路など、水を呼び込む箇所には水量が集中する。
とくに湾のような地形になっている所は、奥にいくほど大量に押し寄せた津波の水量が「すぼまる」ことによって水位は上がっていくので、要注意だ。
同じ標高でも平坦に舗装された幅の広い道路などは、宅地よりも水流が集中しやすく、流れが速くなるだろう。
海辺には地図データにあらわれていない水路や暗渠がいくらでもあるから、ふだんしっかりした地面に見えている思わぬ箇所から大量の泥水が噴出してくることも考えられる。
東日本大震災と、それに伴う津波で、かなり正しい認識が広がったことと思うが、ぜひとも憶えておかなければならないことがある。それは、
「津波は高さに関係なく、どれも危険だ」
ということだ。
たとえ数十センチであっても、決して侮ってはいけない。
津波は「波」ではなく「濁流」なのだ。
川遊びの体験があれば、いくら浅い川でも急流が危険であることは理解できるだろう。
単なる「急流」でも危険なのだが、津波の時には様々な「物」が濁った水に混じって押し流されてくる。
水深に関係なく、とにかく「水に追いつかれたらおしまい」というぐらいに認識しておいた方が良い。
更に、津波が襲ってくるのは、そこで巨大な震災が起こった直後である可能性も考えておかなければならない。
私は阪神大震災の被災者なのだが、いったん巨大地震が起こってしまうと、街の様相は一変する。
家からは瓦が、ビルからはガラスが降り注ぎ、古い木造家屋やブロック塀は次々に倒れてしまう。細い路地はほとんど通行不可能になるだろうし、幹線道路も行き場を失った車で一杯になってしまうだろう。
津波の襲来前には、そうした道路事情の中を、一刻を争いながら高台を目指さなければならないので、避難訓練の時のように簡単にはいかないはずだ。
ふだんから自分の家の周囲を注意して観察してみよう。
海辺に暮らしている場合は、強い地震があった時、津波警報が出たときには、間髪おかずに逃げなければならない。
目指すのは、可能であればできるだけ標高の高い場所。
そうでなければ鉄筋コンクリートの建物。
とくに公共施設はそれなりに堅牢に造られている場合が多い。
一階約3メートルと考えて、3階建てなら9メートル、5階建てなら15メートル。それに建っている場所の標高がプラスされるので、通常想定される10メートル以内の津波なら、十分に避難目標として使える。
「備えあれば憂いなし」という言葉はあるけれども、大地震、巨大津波に対して「憂い」が消えるほどの「備え」は、実際には存在しない。
それでも備えは必要で、もっとも大切なのは知識と想像力なのだ。
2016年03月11日
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