大阪、中之島の中央公会堂で開催「さよなら原発関西アクション」からの御堂筋パレードである。
鳴り物歓迎ということなので、手製のボックスギターの中から、軽量コンパクトでそこそこ鳴る三弦ギターを持参。
屋外ステージのライブを観てから、パレードにむけてしばらく腹ごしらえをしたり、ウオーミングアップで適当に歌ったり弾いたりしていた。
こちらのブログでアップしている音源の中でデモむけのものと言えば、たとえば以下のような感じ。
【ふるさと】
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
【不動尊祈経】
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【千両箱ブルース】
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【白骨の唄】
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のどが乾いてドリンクを物色しにステージ周辺のテントをまわっていたら、私のもっていた100均ボックスギターに目を止めた女性が声をかけてくださった。
さっきまでステージで歌っていた川口真由美さんだった。
生で歌を聴いたのははじめてだったのだが、生き方として歌う必然性のある人は、やっぱりパワーが違うのである。
ステージというよりは、辻説法のような「現場」が相応しい凄みのある歌い手で、Youtube等で多くの活躍を見ることができる。
今回、しばらくお話しさせていただいて、とても楽しかった。
デモには色んな強者の皆さんがいて、こちらもパワーをもらえるのである。
そして翌14日。
ろくでもない不公平な税の使い道への呪詛とともに、確定申告完了。
国がための民にあらず、民のための国であれ!
真綿で首を絞めるように支配されているのですよ。
文明国家で本当に”民”を叫ぶことのできる国なんてないのでは。
霞が関の官僚と話したとき、本当にこう思いました。
しかし、官僚はかならず肥大化し、腐敗するもので、国を滅ぼすのは民ではなく、腐敗官僚であることは「史記」の時代から明らかです。
国破れて山河ありといい、国家が破綻しても国土があれば民は再起できますが、原発が事故を起こすと国家だけでは済まず、国土を失ってしまいます。
パワーバランスとして、もう少し民が力を持たなくてはいけないと思っています。
民主主義とはよくも言ったものです。
2世議員(ニセ議員)が増え、血統的に政治家一族が増えるということは支配者・被支配者が血族的に分かれていた昔みたいになるということですね。
結局こうなるのですね。
何かひどい失策をすると、本人は腹を切らなければなりませんし、一族で連座することもありました。
今の官僚のように特権だけもって、それにみあうほど個人の責任は問われないというのは、ある意味最悪ですね。