思い入れのあった人々の訃報が相次いだ。
昨年の年頭からこの流れが続いているような気がして、粛然とした気分になる。
まず、三月に入ったばかりの頃、骨法師範の堀辺正史さんが、昨年末にお亡くなりになっていたという報道が流れた。
一般にはあまり知られていない名かもしれないが、90年代のプロレス・格闘技界隈では少なからぬ影響力のあった武道の語り部だった。
自身が伝承する(とされた)古武術「骨法」の来歴にフィクションがあったこと、そして、現在ではジャンルとして確立した「総合格闘技」の分野で、指導を受けた弟子達が結果を出せなかったことで、批判も多かった。
しかし、武道や格闘技の「解説」においては、その内容は今でも十分読めるものであると思っている。
骨法の来歴のフィクションについても、古武道や神社仏閣の由来記の類いでは「よくある」レベルのものであったのだなと、今から神仏与太話ブログの筆者として振り返ると、そこはまあ納得できる。
主著を挙げるとするなら、以下の一冊だと思う。
●「命懸けの論理―新日本人論」堀辺正史 ターザン山本
武道を通した極めて論理的で明晰な日本論である。
今でも一読の価値はあると思っている。
そして同じ頃、プロレスラーのハヤブサさんの訃報があった。
90年代、華麗な空中殺法で活躍した覆面レスラーである。
2001年に試合中のアクシデントで脛椎損傷、全身不随の重症。
ハヤブサさんが真のレスラーであったのは、そこからだった。
ご自身の苦しみと絶望は想像を絶するが、不屈の闘志でリハビリに励み、近年は杖を使って歩けるまでに回復していたのだ。
死因はくも膜下出血とのこと。
47才。
引退はしておらず、あくまでカムバックへ向かう途上での急死だった。
私は年が近いこともあり、90年代からずっと折に触れ、動向を追っていたレスラーだった。
3月半ばには、日本古代史の上田正昭さんの訃報があった。
古代史関係の本を探すと、必ず名の挙がる人で、私も何冊か拝読した。
個人的な関心の領域で言えば、大本教の縁者でもあったそうで、出口王仁三郎の故郷、穴太の小幡神社の宮司も務めておられたとのこと。
大本研究で亀岡に出向いた際には、小幡神社にもよく参拝させていただいた。
古き良き田園風景の残る穴太の里、小山の麓、小川のほとりにある清々しい社だった。
心血を注いだという最後の御著書はまだ未読。いずれ読まなければ。
●「渡来の古代史 国のかたちをつくったのは誰か」上田正昭(角川選書)
昨日、宗教思想史の安丸良夫さんの訃報があった。
一揆や世直し運動に関する研究で名高く、大本教関連でも重要な成果を残されている。
以下の本は、研究内容が凝縮されたような名著だと思っている。
●「出口なお―女性教祖と救済思想」安丸良夫(岩波現代文庫)
また、最近まで知らなかったのだが、浪曲師の国本武春さんが、昨年末にお亡くなりになっていたという。
一般には、Eテレの子供むけ番組「にほんごであそぼ」の人気キャラ「うなりやべべん」といった方が通りがいいかもしれない。
浪曲をうなるだけでなく、三味線で弾き語るスタイルを創り上げた、異能の天才だった。
●「たっぷり べすと」
思い入れのある人の訃報にふれる機会が、じわじわ増えてくる。
こういうのも、年を重ねるということか。
2016年04月05日
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知りませんでした。
彼の著書はわたしも数冊読み、大いに感銘を受けたりしたものです。
本を著す武術家はウソが多いといいますが、それを地で行く人で、まあ、夢をもらったといえばいいでしょうか・・・?
上田正昭先生はこれまた数冊読みました。
日本の古代には欠かせない人ですね。
今頃はきっと先にあの世に行った先達の指導を頂いておられることでしょう。
心より冥福を祈りたいと思います。
古流や中国武術、剣道などを修めていて、用心棒稼業をやっていたのは事実のようなので、「喧嘩の達人」であったのは間違いないと思います。
また、民族派運動に参加していた時期があり、かなりの読書家でもあったようなので、「解説」の部分で的確であったことも確かです。
「一子相伝、一撃必殺の最強武術!」というのはフィクションでしたが、評価できる点はきちんとしておきたいですね。
資料の少なかった当時の大山氏が書いているくらいだから骨法という名前だけは専門家には知られた存在だったのでしょう。
小学生だった自分にはあまりにも耳慣れない言葉だったので覚えてはいたのですが、その後、堀辺氏によって神秘化されて登場したのでとても胸躍りました。懐かしい思い出です。
ネットで検索してみると虎倒流などがけっこうたくさん出てくるので驚きました。
なんでもそうですが、下手な嘘がつけない時代になりましたね。
これが松田隆智さんの前に出ていたら、かなり信憑性も高かったんですがねえ
そのニュアンスを最大限に神秘化して解釈すると、「秘伝の技術体系」というイメージが出てくるのかなと、今は理解しています。
総合格闘技に傾斜する前の、喧嘩芸時代をよく知る廣戸聡一さんが、今発売中のゴング格闘技で当時の様子を語っているようですね。
これも面白いですね。
喧嘩芸では掌打を多用するいきさつについて触れていますが、わたしの専門である武術でも多用します。日本では掌打という発想はあまりないですから堀辺氏と中国拳法のいきさつは切っても切れないいんでしょうね。
あんなペチペチではないですが・・・
私は中高生の頃の部活の剣道以来、やる方はさっぱりです(笑)
掌打については、廣戸さんやご紹介の北條さんなど、何人かは威力のある技を使えたようですが、「習ったら誰にでも修得できる」というようなものではなかったみたいですね。
末席ながらその流派に属する者です。
アマゾンでもすごく値段が上がってしまっているのですが、内容はいろいろな人があげています。
掌打は不思議なもので、若いころ師匠に軽く試打されたことがあるのですが、一週間くらい痛みが抜けませんでした。
骨法のペチペチとは原理が違うので同一視できませんが、堀辺氏は目につけどころはよかったんだと思います。
堀辺さんはあくまで「日本武士道」にこだわっておられたので、中国武術の影響はあまり表明しませんでしたけど、「骨法」を名乗る以前から、台湾あたりで何度も技術交流はしていたようですね。