会場最寄の明石駅で降りると、高架のホームのお城側に、「ようこそ明石へ」と跳び跳ねる鯛の看板が目に飛び込んでくる。
高校生の頃、アホな友人たちと明石で遊んだとき、「いつかあの鯛とったろ!」とか、意味不明のホラ話で盛り上がっていたことを、ふと思い出す。
その「いつか」が来なくて本当に良かった……
などと考えながら、十分ほどブラブラ歩くと、会場の文化博物館に着く。
平日のせいか、ものすごく空いている。
というか、前回の初日土曜日も、ものすごく空いていた。
せっかく「世界のオーライ」生誕の地の凱旋展覧会なので、あまり不景気なことは書かないでおこうかとも思っていたのだが、やっぱり書く。
おれが行った二回とも、はっきり書くと、会場には数えられるぐらいしか人がいなかった。
たまたまおれが混雑に当たらなかったのかもしれないが、twitter等の感想でも「会場ガラガラ」という書き込みが、けっこうある。
今日からGWがはじまるので、一気に客足が増えていてくれると良いのだが、どうなっているだろうか。
おれ個人としては、ガラガラでも全くかまわず、むしろありがたい。
なにしろ、展示内容は本当に素晴らしいのだ。
思い入れのある極上の生ョイラストの原画約170点を、ほとんど貸しきりのような感じで、一点一点じっくりなめるように鑑賞できるのだ。
絵を観るにあたっては、はなれたり接近したり様々な距離でフットワーク軽く鑑賞したくなるものだが、それも自由自在。
たとえば、日本で異様に人気の高い印象派の有名どころの展覧会だと、こうはいかない。
満員電車さながらの混雑の中、流れに従って作品の前をスローペースで通過することしかできず、せっかくの実物との対面にも、物足りない思いが残ることが多い。
だから、ごく年若い頃から大好きだった画家の作品を、これだけ独占的にねぶり上げるように鑑賞できるなんて本当に贅沢な時間で、こんな機会は人生の中でも何度もないことだろう。
個人的には、会期中この状態が続いてくれることが望ましい。
しかし。
もったいないのである。
この素晴らしい展示は、もっともっとたくさんの人が詰めかけるべき価値がある。
今の状態は、どう考えても適正ではない。
なぜなのか?
会期が始まる前からうすうす感じていたのだが、宣伝や広報が上手く機能していないのではないかと思う。
ならば。
微力ながらこのおれが、ブログでしばらく関連記事を連発してみようではないか!
意識的に絵を描き始めた高校生の頃、生ョ範義の円熟期に居合わせた。
本や雑誌を飾る豪華絢爛な表紙絵を見て、「おれもこんな風に描きたい!」と志した。
同じリキテックス絵の具を買い込み、生ョイラストを観て、考えて、真似た。
もちろん田舎の高校生風情が、同じ画材で模倣したところで「こんな風」には描けるはずもない。
それでもできることから一手、また一手と真似るうちに、いくらかの技術はおれの筆にも宿ってくれるようになった。
とにかく枚数を描いて地力をつけるべき時期に、極上のテクニックを持ったイラストレーターに憧れ、ぶつかったことは幸運だった。
そして今まで、どうにかこうにか絵を描くことと関わり続けてくることができた。
わずかなりともご恩返しをせねばなるまい。
生ョ範義を人に紹介する場合、まず最初にぶつかるのは「難読の壁」だ。
ルビなしの状態で「おおらいのりよし」と正しく読める人は、まずいない。
読める人はすなわち、生ョ範義ファンであるということになるので、最初から宣伝の必要がない。
しかし!
名前を知る人、読める人が少ないことと反対に、生ョ範義の絵そのものを見たことがある人は、おそらく膨大な数に上る。
日本在住で、70年代から90年代に本を読んでいた人、映画を観ていた人なら、誰でも一度は表紙絵やポスター等でその作品を見たことがあるはずだ。
そして、「すごい!」「うまい!」「濃い!」「強烈!」等の、なんらかの強い印象を受けた経験があるはずなのだ。
ところが、それが誰の絵であったかということになると、生ョ範義という名前と結び付かないのだ。
実を申せばこのおれも、高校生の頃、文庫本のカバーをめくって「生ョ範義」という漢字を目にしてから一年間ぐらい、読み方がわからなかった。
今なら興味があれば検索すれば一発で判明するのだが、当時はネットそのものが存在しない。
ハマっているファンが読めないぐらいだから、一般の人が読めないのは仕方がない。
だから「生ョ範義展」を宣伝する場合、その名前自体の宣伝効果はないに等しい。
名前と作品が結び付くのは、出版やデザイン、イラスト界隈の玄人か、熱心なファンに限られる。
今回の展示のポスター、チラシでは、「ゴジラ」と「スターウォーズ」の映画ポスターを手掛けた点が強調されている。
世界的な知名度を持つ作品と、生ョ範義の名前を結ぶ表示なので、これも悪くはない。
ただ、個人的には、ちょっと弱いと思う。
この映画二作のポスターは、たしかに生ョ範義の仕事の中でも傑作が揃っているのだが、他にも多くの優れたアーティストが手掛けている。
生ョ範義一人がイメージを代表しているわけではないのだ。
もう少し、ピンポイントに絞った宣伝もほしいのである。
(つづく)
初日に行く予定を地震でキャンセルしたので(山陽新幹線の乱れや慶長地震の再来になる可能性を危惧して)、現地に到着するまではドキドキでした。
私が行ったのは祝日で、開田裕治氏のトークショーが予定されていたからか少しは人が入っていたようでしたが、生ョさんの偉業に見合った数ではとてもありませんでした。もったいない。まあ絵柄とイラストレーターの名前が一致する時点で相当絵が好きな人なんですが…。
というわけで、九郎さんの関連記事楽しみにしてます。
確かに初日あたりは地震がどうなるかわかりませんでしたね。
地震二日目の「本震」の震度分布が、静岡あたりまで届いてたりしましたから。
個人的に、山陽新幹線にたくさんあるトンネルは、大地震のときヤバイんじゃないかと思ってます。
本を読む三十代以上は、必ずあの絵柄は見たことがあるはずなので、その記憶と生ョ範義という名前が結び付けば、展覧会を見に行きたくなる人はいっぱいいると思います。