blogtitle001.jpg

2016年04月30日

ほら、あの凄い絵を描いたのが

 前回記事で、その凄まじい実力にもかかわらず、イラストレーター「生ョ範義(おおらい のりよし)」という個人名に今一つ知名度がないのは、「難読の壁」があるのではないかと書いた。
 アホみたいな話だが、意外とこういうところが重要なのだ。
 もともと難読であることに加えて、「ョ」の字はネットやPCの環境によっては表示されにくく、検索でも「生頼」という表記の方が通りが良かったりする。
 当ブログでも、検索結果に反映されやすくするために、正しい表記の「生ョ範義」と合わせて、念のため「生頼範義」という文字列も書いておくことにする。

 生頼範義 生頼範義 生頼範義
 生頼範義 生頼範義 生頼範義
 生頼範義 生頼範義 生頼範義
 生頼範義 生頼範義 生頼範義

 こんなもんか?

 
 アホっぽい前置きはさておき、絵は見たことがあり、強い印象を受けたにも関わらず、生ョ範義という個人名に結び付いていないと思われる作品について、本日は書いておきたい。
 そうした作品は、おれの個人的な「生ョ歴」を振り返るだけでもいくつも見つかる。
 実はおれ自身も、ごく年少の頃から生ョイラストに衝撃を受けていたにも関わらず、それを描いたのが誰なのかということには意識が向いていなかったのだ。

【学研図鑑「人とからだ」】

 今から思い返してみると、おれの人生初の生ョショックはこの本だった。
 小学生の頃である。
 学研の図鑑シリーズは親が何冊か買ってくれたのだが、特に好きだったのが古生物を扱った「大むかしの動物」と、この「人とからだ」だった。
 写真もイラストも面白いものが満載で、中でも記憶に残っている体内図の何点かが、生ョ範義が描いたものだったのだ。
 まるで宇宙船のメカニックのように精緻な眼球や内蔵の断面図。
 荒野に立つ血管だけで描かれた男性像。足元にはゼリーのような血球が転がっている。
 二才下の弟とともに、興奮しながらページをくっていたのを思い出す。
 残念ながら現在、学研の図鑑は全面リニューアルされ、この本はもう新本では入手できないようだ。
 80年代から90年代に子供時代を過ごした人なら、「ああ、あの絵か」と記憶がよみがえる人も多いことだろう。
 そう、あの凄い絵を描いたのが生ョ範義という人で、展覧会が今開催中なのだ!

【吉川英治全集「三国志」】
 そして中学生になった頃、父親から借りて読んでいたのがこの本だった。
 確か、当時まだ完結していなかった横山光輝のマンガ版の続きが知りたくて、その原作に手を伸ばしたという流れだったと記憶している。
 その表紙・裏表紙が、生ョ範義の超絶点描画だったのだ。
 野望渦巻く三国志の主要な英雄豪傑が網羅され、あまりにリアルなタッチに、古代中国に肖像写真があったかのような錯覚すら覚える、凄い作品だった。
 70年代から80年代にかけて三国志を読んでいた人なら、「ああ、あの絵か」と思い当たる人も多いだろう。
 そう、あの凄い絵を描いたのが生ョ範義という人で、展覧会が今開催中なのだ!

【平井和正「幻魔大戦」】

 中学生から高校生にかけて、SF作家平井和正の作品にハマったことがきっかけで、おれははじめて生ョ範義というイラストレーターの名前を意識することになった。
 70年代から80年代の平井和正作品は、その大半が生ョ範義のイラストで飾られていた。
 作家とイラストレーターが、共に人気と実力のピークにむけて駆け上がる時期で、まさに「名コンビ」と言える組み合わせだったと思う。
 おれは十年ほど後追いのタイミングでこのコンビの本を漁っていた。
 当時は今より書籍の回転が緩やかで、近所の本屋でも何年も前の本が入手しやすかったのだ。
 角川文庫の棚には緑色の背表紙の一画があって、「幻魔大戦」はじめ大量の平井和正作品が並んでいた。
 表紙絵があまりに素晴らしいので、意識的に絵の修行を始めていた高校生のおれは、いったい誰が描いているのかと本のカバーをめくった。
 そこに表記されていたのが「生ョ範義」という難読の名前だったのだ。
 はずかしながら、正しく読めるようになるまでそこから一年ほどかかったと記憶している。
 熱心なファンでもこの体たらくなので、一般の人がこのイラスト魔神の情報に行き着くのにハードルがあることはいたしかたない。
 他にも雑誌「ムー」の創刊表紙絵や、SFアドベンチャー誌の表紙絵、小松左京の表紙絵など、80年代のSF界隈のビジュアルイメージを代表する一人が生ョ範義で、当時そこに居合わせた人はかならずあの豪華な絵柄を目にしていたはずだ。
 そう、あの凄い絵を描いたのが生ョ範義という人で、展覧会が今開催中なのだ!

【ゴジラ】
 懐かしの昭和ゴジラ映画ではなく、80年代半ばに復活し、平成へと続くゴジラシリーズの映画ポスターの多くを手掛けたのが、生ョ範義だった。
 当時すでに生ョファンだったおれは、遠目にポスターを見ただけですぐに誰が描いているのかピンと来た。
 とくに「ゴジラ対キングギドラ」のポスターはあまりにかっこよく、ついフラフラと映画を観に行ってしまったことを覚えている。
 映画自体は「なんかビミョー」(個人的感想)という感じだったので、以後はポスターのみ楽しんでいた。
 ポスターは、揃いも揃って傑作の連発で、覚えている人も多いだろう。
 そう、あの凄い絵を描いたのが生ョ範義という人で、展覧会が今開催中なのだ!


 おれがリアルな体感として語れるのはざっとこのくらい。
 他にももっともっと幅広い、膨大な作品群が存在する。
 きっと人の数だけ生ョ体験があるはずだ。


 人体イラスト以外は、三国志もSFもゴジラも、今現在大量に原画展示中なのだ! 
posted by 九郎 at 23:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 生頼範義 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
わたしも先月すでに2度目を見てきました。
やっぱりすごいですね。
知人に紹介しまくっています。
思えば小学校4年の時、スターウォーズが初めて封切りになったのですが、いちばん惹かれたのがポスターでした。(ちなみに映画は観ていません)
当時は「やっぱり外人さんの映画は違うなあ。本当に素晴らしいポスターやわ。」と感心していたのですが、なんと日本人の手によるものだったとは。
会場に坊主頭の怪しいお兄さんがいて、それこそ舐めるように熱心に一枚一枚を堪能していたのですが、これは九郎さんかもしれないと思い、そっとしておきました。
Posted by makakaraten at 2016年05月06日 10:25
坊主ではないっすよ〜

会場では人出は少ないですけど、その分来てる人はみんな物凄く熱心に鑑賞してますね。
Posted by 九郎 at 2016年05月07日 00:49
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック