2016年05月13日

ペンキ絵の究極

 開催中の「生ョ範義展 The Illustraor in 明石」について、記事を書き続けている。

 ネット検索対応、召喚の儀。

 生頼範義 生頼範義 生頼範義
 生頼範義 生頼範義 生頼範義

 おおらい のりよし おおらい のりよし
 おおらい のりよし おおらい のりよし

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 生ョ範義のイラストは、よく「重厚な油絵風」と紹介される。
 もちろん私もそう思っていたのだが、今回の展覧会で少し考えを改めた。
 あの画風、あの凄まじい細密描写なので、もっとこってり塗り重ね、サイズも50号とか100号が普通にあるのかと思って疑わなかった。
 しかし、原画の数々に触れてみると、思っていたよりも塗り重ねがずっと薄い。
 かなり絵の具を薄めて水彩画のように描いている部分もあり、濃い絵の具を塗り重ねてある部分は意外と少ない。
 そして、思っていたよりもサイズが小さい。
 もちろん大きな作品もあるのだが、大半は10号とか20号あたりで、絵画としては小品にあたるものが多い。
 印刷物を見ると、大きなサイズに筆でぐいぐいとタッチを重ねている印象があったのだが、小さなサイズに面相筆で細かく描き込んでいる。
 ダイナミックな筆使いと見えていたあのタッチの多くは、実は面相筆による細密描写だったのだ。
 これは考えてみれば当たり前の話で、商業イラストのペースで本当に「塗り重ねたサイズの大きな油絵」を制作し続けることは、物理的に不可能だ。
 あくまで「重厚な油絵風」の視覚効果を持つ、リキテックスイラストなのだ。

 作品を年間100を超えるペースで手掛けるには、サイズは必要最小限でなければならない。
 とくに本の表紙絵向けのイラストは、あまり大きなサイズで原画を描くと、印刷された状態を想定しにくくなる。
 手数もなるべく少なくしなければならない。
 発色をよくする部分は混色を少なく、塗りを薄く。
 重厚さを出す部分のみ、比較的塗り重ねる。
 筆タッチの強調で、手数を減らした写実表現をする。
 これらの特徴は、全て「限られた制作時間内での最大効果」というベクトルを持っている。
 同時にそれは、画面内にメリハリとライブ感を生み、生ョイラストのインパクトの強さ、ダイナミックな画風を生んでいる。


 ここまで書いて、ふと思い出したことがある。
 なるべく手数を少なく筆タッチを生かし、なるべく塗り重ねや混色を避けながらリアルに見せる。
 こうした描き方の特徴は、「ペンキ絵」とよく似ているのだ。
 私は学生時代、短期間だが映画館の看板描きのバイトをやっていたことがあって、その時に心がけていたのが、まさにそのような描き方だった。
 基本は映画ポスターや俳優の写真を、看板サイズに拡大してペンキで描く仕事なのだが、いくつか心がけなくてはならない点がある。
 まず、納期があるので制作時間は非常に短い。
 普通に絵を描くようにじっくり構えていると到底仕上がらないので、下描きも彩色も徹底的に時間を節約しなければならない。
 また、時給計算ではなく一枚描いてなんぼなので、時間をかければかけるほど実入りは少なくなる。
 とにかく速く描く。
 元になる写真にグリッド線を引き、看板にも拡大した升目を引いて、升目を読みながらざっとあたりをつける。
(そう言えば、生ョ範義展でも升目を引いた下描きが展示されていた)
 スライド映写機やOHPなどで手っ取り早く拡大投射してなぞる場合もある。
 ただ、映画ポスターは縦長が多いが、看板は横長が多いので、そのまま拡大できるわけではない。
 あとで職人さんが文字情報を入れるスペースも残しながら、上手く構図を再構成しなければならない。
 ざっとあたりをつけたら色塗りに入る。
 ペンキは混ぜると絵の具以上に発色がガタ落ちになるので、なるべく混ぜない。
 なるべく下地の紙の白を生かしながら、薄めたペンキと刷毛で迷わずスピード感を持って塗る。
 看板は雑多な色彩が溢れる街中に掲げられるので、はっきりした色使いで、コントラストは強めに出した方が良い。
 「上手く描けるなら」という条件はつくが、筆跡を生かしてグイグイ描いた方が、迫力が出る。


 あらためて思い出してみると、もちろんレベルの違いはあるけれども、生ョイラストの傾向と一致している部分が多い。
 私がこれまでに読んだプロフィールには出ていないけれども、生ョ範義は学生時代あたりに映画館の看板描きか、それに類するペンキ絵の経験があるのではないかと妄想してしまう。
 手描きの映画看板は、私が学生時代を過ごした90年代にはもう絶滅寸前だったけれども、昔は画学生や絵描きのシノギとしてはわりとポピュラーな職種だったのではないかと思うのだ。
 確か劇画の池上遼一もペンキ絵の経験があったはずだ。
 もしかしたら生ョイラストの技術は、とんでもないレベルまで洗練された「ペンキ絵の究極」なのかもしれない……

 そう考えると、あらためて敬愛の念が湧いてくる。
 私は高校生の頃、生ョイラストのファンになり、拙いながら真似をすることで技術を学んだ。
 我流ながら生ョ画風を真似し続けた日々のおかげで、進学してから受講した油彩の授業では、それまで全く油絵の経験がなかったのに全然困らなかった。
 映画館の看板描きのバイトをやった時も、社長さんに「なかなか速くて上手いな」と褒めてもらった。
 絵を描くことが収入につながったのは、あのバイトが最初だった。
 あれはみんな、生ョファンであったことの功徳だったのだ。
posted by 九郎 at 05:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 生頼範義 | 更新情報をチェックする
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