2016年05月22日

いかにして生頼範義となったか

 継続して記事にしてきた「生ョ範義展 The Illustraor in 明石」、いよいよ会期の残りは一週間。
 なんとか時間を見つけて最後にもう一度、行っておきたい。

 まずは恒例、ネット検索対応、召喚の儀。

 生頼範義 生頼範義 生頼範義
 生頼範義 生頼範義 生頼範義

 おおらい のりよし おおらい のりよし
 おおらい のりよし おおらい のりよし

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 生頼範義が私たちの知るあの画風を練り上げるまでに、どのような道筋を辿ってきたのか?
 油彩による写実表現だけではなく、ペンキ絵やポスターカラーによるデザイン系の技術もどこかで導入しているのではないかと、展示を繰り返し見ながら、あれこれ想像してきた。

 生頼範義のプロフィールについては、手持ちの資料のなかでは以下の図録がもっとも詳しい。

●「生ョ範義U 記憶の回廊 1966-1984」
 昨年みやざきアートセンターで開催の展示の図録である。
 生頼範義のイラスト世界の前半部分をカバーした極厚の一冊で、今ならまだプレミア価格はついておらず、定価に近い値付けになっているようだ。

 19歳で東京芸大油画科に入学とあるので、入学前の十代の頃から写実デッサンについては高いレベルの技術を身に付けていたことは間違いない。
 同級生の間でも「上手い」「ミケランジェロのような絵を描く」と評判だったようだ。
 指導教官は小磯良平で、ご子息のオーライタローさんによると「あまりそりがあったようにも思えない」そうだ。
 たしかに絵柄から受ける印象は全く違うけれども、技術面で見ると「必要最小限の手数と塗り重ねで、筆タッチを活かして写実の最大効果をあげる」という点では、共通点も見える気がする。

 そう言えば、私の学生時代の絵画の指導教官の一人が、小磯良平門下の先生だったことなど、ふと思い出す。
 先生の作品はけっこう好きだったのだが、指導はあまり合わなかったっけ……
 その節はお世話になりました。

 その後の生頼範義は、22歳で芸大を中退。
 当人は「学校で習うことはもうない」「学費が続かなかった」と、おそらくどちらも本当の事情を、近い人には語っている。
 中退後は4年間に5回引っ越したり、二度放浪の旅に出て消息不明になったりしたことがあるそうなので、なんとなくそうしたボヘミアンな生活を経てみたい、人生の一時期だったのではないかとも感じる。
 25歳で油絵個展を開いているが、当時の絵を見ると、必ずしも「写実」は志向していなかったようで、私たちの知る生頼範義の画風とは全く違う。
 ちょっとモジリアーニ風の、おそらくじっくり制作時間をかけ、塗り重ねた人物像だ。
 この個展での「絵は一枚も売れなかったが、気に入ってくれた人もいる」という体験は、「イラストレーター生頼範義」の形成には意外と重要だったのではないかと思う。
 絵描きの多くは、よほど幸運に恵まれた例外を除き、若い頃に「描きたい絵では金にならない」という壁と向き合う。
 それは技術的な巧拙、表現のレベルとは関係なく、誰もが一度はぶつかる壁だ。
 自分の表現と、経済の折り合いをどうつけるかということは、その後の絵描きの作品そのものにも影響を与えるのだ。

 27歳で結婚、本格的にイラストの仕事を開始。
 それまでは大工見習いなどの肉体労働を含めて様々な仕事を遍歴したという。
 その中に、映画館の看板描きや、デザイン事務所でのアルバイトなども含まれているのではないかというのが私の想像だ。
 写実の技術を持っていると、そうした職種には対応しやすい。
 ただ、表現としての絵画とはまた違う意識が必要だ。
 若き日の生頼範義の画風から考えると、「自分の絵ではそういうことはしないでおこう」と思っていたことばかりしなければならなかったことだろう。
 そこで意識を切り替え、デザイン系の画材の扱いを吸収し、イラスト仕事に徹したことが、私たちの知る生頼画風の誕生に繋がったのだと思う。

「生活者としての絵描きは
 肉体労働者にほかならぬ。」

 そんな言葉を、生頼範義自身が残している。

【2017年11月13日追記】
 一週間ほど前からこの記事のアクセスが急に伸びてます。
 twitterかなにかで紹介していただいたのかもしれませんが、アクセス解析ではそこまでわかりません。
 よろしければ、どなたかコメント欄でリンク元をお知らせいただけるとありがたいです。
 関連記事はカテゴリ生頼範義にまとめてありますので、そちらもどうぞ。
posted by 九郎 at 22:44| Comment(4) | TrackBack(0) | 生頼範義 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いつも巡回してくださる皆さんへの告知。
突然ですが、昨日緊急手術を受けました。
無事成功で、ぼちぼち復帰できそうです。
詳しくは後日、まずはご報告まで。
Posted by 九郎 at 2016年06月02日 10:21
本日退院してきました!
Posted by 九郎 at 2016年06月06日 21:03
こんにちは。アクセス増加の謎はとけましたか?

どうやら会田誠さん @makotoaida のtwitter、2017年11月8日のつぶやきのようですね。

今朝たまたまTVで小磯良平の名前を見かけて「生ョさんと関係なかったっけ?」と「小磯良平 生ョ範義」で検索したら会田さんのつぶやきがヒットし、そのリンクに跳んだらここに来ました(笑)。
Posted by 井上渉子 at 2018年04月22日 10:17
井上渉子さん、お知らせありがとうございます。

普段はいたって地味なアクセス状況なので、たまに目立って伸びることがあると、ちょっとどきどきします。。。
火元は会田誠さんのつぶやきだったんですね。謎が解けてすっきりしました!

80年代に徳間から出ていた「黄金の少女」シリーズ単行本の表紙絵なんかは、生ョイラストの中ではわりと小磯良平っぽいかなと思っています。
Posted by 九郎 at 2018年04月22日 13:41
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