これで計四回。
一回ごとに反芻し、考え尽くしたタイミングでもう一度観に行き、新たなテーマを持ち帰るという感じで、充実した会期を過ごせたと思う。
しかしもう終了してしまったので、また何か新しく気付いても確かめにいけない。
寂しさも感じるけれども、巡回展のパッケージは整っているようなので、いつかまた機会はあろう。
一階展示室のSFアドベンチャー誌表紙絵シリーズ、「フランチェスカ・ダ・リミニ」という作品の背景装飾にエイリアンクイーンを見つけてニヤリとする。
前回も「ブラディ・メアリー」という作品を見ていて、中央の女性の背後にνガンダムの頭のシルエットが重なっているのに気付いた。
このシリーズ、他にもこうした遊びは色々ありそうだ。
あくまで私の主観による区分になるが、多くの作品を制作年を意識して観賞していくと、とくにリキテックスによるカラーイラストの画風は、だいたい三期くらいに分かれるのではないかと感じる。
1、60年代デビューから70年代末あたり
先行する探偵/冒険小説などの挿絵、デザイン系の手法を用い、自身の油彩や写実の技術をイラストに応用した技術の形成期。
2、80年代
印刷を前提とした商業イラスト技術研鑽が、ピークに向かう時期。
3、90年代以降
イラスト的なくっきりした色の使い分けを徐々に抑え、絵画的な表現にじわじわ回帰していく時期。
生ョ範義関連の前回記事で、以下のような言葉を引用した。
「生活者としての絵描きは 肉体労働者にほかならぬ。」
これは1980年(当時45才)刊行の最初の画集「生ョ範義イラストレーション」に収録された、生ョ範義自身の文章のタイトルである。
タイトルがすでに刺激的だが、中身もかなり率直かつ強烈な文章が並んでいる。
少し引用すると、以下の通り。
「私はおよそ二十五年の間、真正なる画家になろうと努めながら、いまだに半可通な絵描きにとどまる者であり、生活者としてはイラストレーターなる適切な訳語もない言葉で呼ばれて、うしろめたさと恥ずかしさを覚える者である。」
「私は肉体労働者であり、作業の全工程を手仕事で進めたい。定規、コンパス、筆、ペン、鉛筆とできるだけ単純、ありきたりな道具を使い、制作中に機械による丸写しや、無機質な絵肌を作ることを好まない。一貫して、眼と手によって画面を支配したい。」
「生活者たる私は、依頼された作品を制作するに当り、主題の事物の裏に展開し得るだろう別な世界に思いを巡らすことなど決してしたくない。」
学生時代に図書館で画集を開き、この文章を読んだ私は、敬愛する絵描きの孤高の魂に触れた気がして、強く印象に残った。
プロフィールによると生ョ範義は子供の頃から小説なども書いていたそうなので、絵だけでなくもっと文章も読んでみたいのだが、この一文以外に発表されたものはなさそうだ。
その代わり何度も再録されているので、生ョ範義の画集を求めると、掲載されていることが多い。
今回の展覧会の図録にも再録されているので、手元にある人は是非開いてみてほしい。
この一文が発表されてからほどなく、生ョ範義は「畢生の大作」を描き上げている。
油彩による600号の超大作「破壊される人間」である。
超多忙なイラスト仕事の合間を縫いながら、十年かけて描かれたというこの作品、残念ながら私はまだ実見していない。
あまりにも巨大であるため現在所蔵されている施設から動かせず、ここ数年の生ョ範義展でも展示は検討されながら、果たせていないそうだ。
だからサムネイル程度の画像と、今回の展示会場で流されていた紹介映像でしか見ていないのだが、それでも伝わってくる圧倒的なパワーがある。
是非とも一度、前に立ってみたい作品だ。
現在の所蔵は九州の川内歴史資料館。
作品の主題とあわせて考えると、思うところはある。
この作品が制作されたのは70年代。
先に紹介した「生活者としての絵描き」の一文のような、苛烈なイラストレーターとしての研鑽を積んでいる時期だ。
おそらく、「破壊される人間」と他のイラスト仕事は、車の両輪のような関係だったのではないかと思う。
両方あったからこそ、両方描けたのだ。
そして、イラストの技術の真髄を極めた80年代後半以降、生ョ範義は徐々にイラストと絵画の融合を試行しているようにも見える。
超大作「破壊される人間」と主題に共通性を持ちながら、イラストとしても成立している大作「サンサーラ」や「我々の所産」を見ると、とくに強くそう感じる。
生ョ範義のアトリエには、まだまだ未完成、未発表の、イラスト以外の作品が数多くあるという。
イラストレーターとしての偉業の背後に、広大な画家としての領域が広がっているのだ。
公開される日を待ちたい。
(生ョ範義展関連記事、ひとまずおしまい)