あまり映画を映画館で観る方ではないのだが、個人的に信頼する目利きの皆さんが皆評価しているので、久々に映画館に足を運んだ。
上映中の「シン・ゴジラ」である。
噂にたがわず、物凄く面白かった。
まだ公開から日は浅いが、ネタバレがどうのというような内容ではないと思うので、気にせず感想を書く。
誰もが一見して、約60年前に公開された初代ゴジラを、現代のリアリティで再現したとわかる作品だ。
日本映画にありがちな「売るための保険」を極力排除し、カメラはただただゴジラという自然災害に近似した災厄に右往左往する日本と世界の対応を追っている。
一定数の客を入れることを義務付けられた「ゴジラ」というコンテンツは、数を重ねるごとに「売るための要素」を混ぜ混むことを余儀無くされて、初代を除いて質的にはビミョーな作品を連発してきたのだけれども、現代ニッポンのいままさにこのタイミングで、これだけハイレベルの原点回帰が為されたことは本当に意味深いと思う。
やや危うく見えた石原さとみの演技も、本人の頑張りで「売るための保険」のレベルは遥かに越えていたのではないだろうか。
庵野監督にしか為し得なかった偉業である。
ゴジラというコンテンツは、作り手にとってはある意味で「ふりかかる災厄」そのものなので、今回のキャストもスタッフも、脚本に深く感情移入しながら映画を造り上げたのではないかと思う。
ゴジラは、60年前の初代から「核」であり、「放射能」であり、「アメリカの生んだ奇形生物」であり、台風のように、火山のように、地震のように、津波のように、そして原発事故のように、日本に突然現れ、破壊の限りを尽くす怪物だった。
作中のゴジラと悪戦苦闘する日本の官僚や政治家は、一人一人の無力さが非常にリアルなのだが、タカ派もハト派も、保身に長けた調整派も、組織に馴染めない変わり者も、「最後は日本のため、国民のために尽くす」という一線は崩さない。
その一点において、非常にファンタジックな作品であるとも言える。
残念ながら、現実の政治家や官僚が、実際の緊急事態にその一線を守ってくれそうもないことは、3.11後の日本の大前提になってしまっているのが、なんとも悲しい。
そうした悲惨な現状を踏まえてなお、せめて虚構の中だけでも「リアルに映る希望」を語れるところが、90年代に一度「エヴァ」で破滅を吐き出し尽くした庵野監督の成熟度なのではないかと思う。
(一応続編もありえる作りになっていて、翼の生えた奇形的なある怪獣に繋ぎ得る設定になっているのだが、まあ続編は実際には撮らないで、一部の客が妄想の中であれこれ楽しむのが一番望ましいのではないかと思った)
絵描きの習性として、これだけのものを見せられると、描かずにはおれなくなる。
観た勢いのまま資料なしでざっくり描いた。
私の頭の中のゴジラ像に、今回の映画で印象的だった「抑えきれないマグマ」のような質感をプラスした一枚になったと思う。
今回の映画のゴジラは、古くからのゴジラファンには賛否のあるデザインであろうことは想像に難くないが、私個人としては歴代の中で一番好きかもしれない。
設定全長の数値とは関係なく、歴代の中で最も「巨大感」のあるゴジラだったのではないか。
フルCGでありながらも着ぐるみを基本にした立ち姿が見事だ。
この巨大な破壊エネルギーを溜め込んだ「静」の立ち姿があるからこそ、エネルギーを解放したときのあの凄まじいカタルシスが生まれるのだ。
久々に模型で造ってみたくなるデザインだ。
手頃なサイズのフィギュアがあったら、心行くまでドライブラシで塗ってみたいなあ……
映画「シン・ゴジラ」
この夏、縁日草子イチオシである!
2016年08月14日
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次は第二形態を楽しみにしてます(笑)。
そちらのブログで、ぬるい要素無し!というのを知って観に行きました。期待以上でしたよ。
この記事のスケッチは、手の向きとか肋骨あたりとか、色々ちがってますね。
フィギュアを塗ろうと思って調べてるところです。
最終形態以外の造形も面白いですね。
短い時間でこれだけの絵を描けるのはやっぱりさすがです。
フィギュアのリペイント? も楽しみにしています。
プラモがあるといいんですけど、塗装前提の組み立て模型がバンバン出る時代は、もう過ぎたんですね。。。