夏休み最後の日である。
もう大人なので、直接夏休みとは関係ないのだが、この年になっても8月末はやっぱり「夏休みの終り」という気分なのだ。
夏の終りは、朝夕のひんやりとした風と共にやってくる。
今年は台風の影響もあって、なんだかざわざわしている。
この時期になると、高校生の頃のことをよく思い出す。
竜巻追想
蝉時雨追想
何度か書いてきたが、高校生の頃の私は「一人美術部」だった。
夏休み明けすぐにある文化祭にむけて、一人で教室一部屋を作品で埋めるために、休みの間中せっせと描き続け、造り続けるのが常だった。
孤独に浸ると言えばカッコ良すぎるけれども、ともかく十代の少年らしいレジャーとは全く無縁の夏だった。
大学に進学してからの夏休みは多少楽しく遊ぶようになったが、強く記憶に残っているのは、求道者のごとく過ごした高校生の夏の方だ。
その記憶があるので、今でも夏の間はなるべく作品と向き合うように心がけている。
さすがに少年時代のように毎日朝から晩まで作品に浸ることは不可能だが、仕事の合間を縫って、とにかく絵筆をとる。
絵筆をとれた時間がそのまま、夏の充実感につながる。
遊ぶより、休むより、絵がいい。
自分はやっぱり絵描きなんだなと思う。
絵だけ描いて生きていける立場ではないが、絵を描かずにいると、たぶん精神が病む。
絵が描けていれば、たいていのことには耐えられる。
遅々とした歩みながら、今100号キャンバスと相対している。
年明けごろから断続的に描き続けてきた絵が、この夏でどうやら「完成に向けての尻尾を捕らえる」程度までは進捗した。
いつか描き上げたいと思っていたテーマの一つ。
行けるかもしれない。
このまま黙々と描き続けられれば、完成するかもしれない。
ここまで書いたんだから、部分的にチラ見せ。
キマイラ「外法曼陀羅」
2016年08月31日
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