日本では美術系志望者の多くがデッサンを学ぶ。
志望が平面であれ立体であれ、一度は鉛筆や木炭による写実表現を習得することが勧められる。
水彩絵具などで軽く着色する場合もあるが基本はモノクロで、色彩構成はまた別に習得することが多い。
写実デッサンで身に付くスキルは、大雑把に言うと二つあるのではないかと思う。
空間認識能力と、絵を「面」で構成する描写力だ。
写実デッサンを学ぶにあたっては、誰もが幼いころから自然にやっている「線で囲んで絵を描く」という意識を、一旦徹底的に解体する。
輪郭線を排除して「面」で物を認識し、画面上で表現することを叩き込まれる。
人間の手と目と頭は密接に関連している。
目と頭をフル回転させて「面」でとらえ、実際に手を動かして「面」で描くことで、空間認識能力が伸びやすいのは確かだ。
空間認識能力は様々な表現の基礎体力になり得るので、そういう意味では誰もが一度は写実デッサンを学ぶ価値はあると言える。
しかしデッサンで得られるもう一つのスキルの「面で構成する描写力」は、全ての美術系志望者にとって、必ずしもプラスに働くとは限らないのではないかと思う。
絵を描く時に「線で描く」のと「面で描く」のとでは、手順や意識、必要とされる手の熟練が全く違うのだ。
正反対と言ってもいい。
例えばわかりやすい例が、マンガの絵だ。
日本のマンガはモノクロのペン画で、基本的に「線」の表現だ。
面構成がしっかりしているか、デッサンが正確であるかどうかということは、マンガの絵の良し悪しとは本質的には関係がない。
一見写実的に見える画風であっても、それはあくまで「マンガの中ではリアルに見える」ということであって、本当の意味での写実ではない。
デッサンが正確であるに越したことはないが、狂いはむしろ絵の個性になり得る。
魅力ある輪郭を、生きた描線で思い切りよくズバッと引くことがマンガの絵の生命力になる。
見た目上の立体感をつけるための影やトーンワークは枝葉の部分に過ぎない。
輪郭線で描き、量産するタイプの表現では、下描きは少ないほど良い。
鉛筆による下描きは、あくまでペンの主線のあたりをとっているのであって、同じ鉛筆を使っていても面構成でデッサンするのとはまた違うのだ。
下描きで一々デッサンなどやっていたら、マンガで要求される絵の枚数をこなすことは物理的に不可能だ。
劇画の巨匠と呼ばれるペン画の達人でも、しばらくペンを持たないと覿面に絵が荒れると言われる。
とにかく日常的にペンを握り続け、下描き無しでも描けるくらいの修練や即興性がないと「線」は生きてこないのだ。
「面」の修練である写実デッサンは、言い換えると「線」を殺す修練にもなる。
思い切りよく輪郭線で画面を切り裂く感性は、面構成の写実デッサンだけやっていると確実に鈍る。
短時間に輪郭線で枚数を描くクロッキーの方が、まだマンガの絵の修練に近い。
マンガの絵は、マンガの絵を描くことで練り上げるのが本筋で、写実デッサンを学ぶにしても「これはまた別物」として区別しておいた方が良い。
マンガ表現でも、空間認識能力はあった方が画面に奥行きが出せ、よりリアルな画面を作ることができる。
空間認識能力を伸ばすにあたって、写実デッサンはかなり有効な修練ではあるけれども、「線」の表現を志すなら、前述したような弊害も覚悟しなければならない。
そして、デッサン以外の空間認識能力の伸ばし方も、実はある。
2016年10月15日
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