80年代初頭の世相を実体験していない人には想像することすら困難ではないかと思うのだが、当時の子供、とくに男子連中の間では、空前の「ガンプラブーム」だった。
TVアニメ「機動戦士ガンダム」の関連商品として発売されたプラモデルが予想外の大ヒットになり、プラモ屋の店頭では入荷と共に飛ぶように売れまくった。
ガンダムのプラモデルだから略称「ガンプラ」で、これは主役機の「ガンダム」だけを指すものではなく、作品に登場する(後にはアニメには登場しないバリエーションまで含めた)メカのモデルを総称して「ガンプラ」と呼ぶ。
プラモ屋だけではなく、駄菓子屋的な子供相手のお店でもガンプラを取り扱っていたが、凄まじい需要に生産が追い付かず、どこも品薄。
ブーム最盛期のプラモ屋の入荷日には、早朝から開店前のシャッターに長蛇の列が押し寄せた。
近年の例では、アニメ「妖怪ウォッチ」の関連玩具が品薄になったことがあった。
ガンプラブームはあの騒動を十倍ぐらいに拡大し、もっと長期間にわたって継続させたものだと説明すれば、いくらか雰囲気は伝わるかもしれない。
ブームが最も過熱していたのは私の体感では1981〜82年で、それ以降もしばらく余波は続いていたと記憶している。
ガンプラブームの時には当のTVアニメの放送自体は、既に終了していた。
アニメ「機動戦士ガンダム」は、初回放送時には視聴率も関連商品の売り上げも伸びず、今から考えると信じがたいことなのだが、放送回数を大幅に短縮された「打ち切りアニメ」だったのだ。
しかしその骨太なSFストーリーと、当時としてはかなり「リアル」に見えたプラモデルの品質が評判になり、放送終了後からじわじわ人気に火がついていった。
そしてTV版を再編集した映画版三部作が制作され、映画も主題歌も関連商品も、相乗効果で売れまくった。
子供だけでなく、アニメで育った大学生ぐらいまでが熱心なファン層になっていて、模型雑誌ではそうした大学生モデラー達が次々と作品を発表した。
アニメのキャラクターにミリタリーモデルの手法を使った作例が斬新で、男子の心の中の「工作好きの虫」を強く刺激した。
模型雑誌だけでなく、子供向けのホビーを前面に押し出した「コミックボンボン」(講談社)が創刊し、ガンプラ作りをメインテーマにした名作「プラモ狂四郎」が生まれた。
子供ホビーマンガ雑誌「ボンボン」は、残念ながら今はもう休刊してしまったが、あの当時の瞬間的な人気では、今でも子供雑誌の王様を続けている「コロコロコミック」を完全に喰っていたのだ。
ガンプラブームと時期的に並行して放映されていた別のロボットアニメ作品も人気だった。
それらの作品は、「ガンダム」以前の、「マジンガーZ」から続いた「スーパーロボット路線」とは一線を画したデザイン、ストーリー展開で「リアルロボット路線」を突き進み、プラモデルもガンプラ人気に乗っかる形でよく売れていた。
一番人気のガンプラが売っていないので、仕方なく他の作品のプラモを買うということもよくあったのだが、それはそれで納得しての購入だった。
プラモの質はむしろガンプラより向上していて、模型製作の楽しみを堪能できるものだったのだ。
しかし、中にはアニメ作品が存在しないのにプラモだけはあるという、ガンプラに箱絵だけ似せた謎のバッタモンシリーズもあり、こちらは中身がとにかく酷かった。
私は高学年だったのでさすがに騙されなかったが、低学年の子の中にはなけなしのお小遣いをはたいて箱絵は似ていても中身は似ても似つかぬ偽物をつかまされ、ベソをかくという被害報告も多数あった。
ガンプラ自体がなかなか手に入らないこともあり、他のガンダム関連商品も売れに売れていた。
当りが出るとガンプラが送ってもらえる「ガンダムチョコ」や、おまけにミニプラモが入った「ガンダムチョコスナック」、アニメのストーリーをダイジェストしたシールブックなどが人気だったと記憶している。
これらの商品は「当りつき」だったので、子供の射幸心を煽るギャンブル的な要素も、ほんの少し混じっていた。
品薄をあてこんだ抱き合わせ商法や、もっとひどい場合は「ガンプラ狩り」、プラモ屋に詰めかけた客の将棋倒し事件など、ブームの暗黒面ももちろんあった。
今と違って子供が溢れていた時代なので、子供の熱はそのまま世相の熱になっていた。
私たち子供は、近所に何件かあった「駄菓子屋的なお店」の店頭で、泣いたり笑ったりしながら、やや毒のあるサブカル消費の密の味を覚えていったのだ。
そんな世相の中、当時の私は一人の「達人」と出会ったのだった。
2016年11月26日
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