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2016年12月20日

馴染みの庭先:夢枕獏「陰陽師シリーズ」のこと

 何度も映画やドラマ化、マンガ化された、夢枕獏作品の中でも特に人気の高いシリーズ。
 今昔物語や日本霊異記といった中世説話や、謡曲、講談などに表現される、安倍晴明はじめ陰陽師の世界観を、短編連作の形で現代にリファインしている。
 大方三十年近く前に開始され、現代日本のエンタメにおける陰陽師ジャンルの嚆矢になったシリーズでもある。
 いくつかの長編や絵物語形式を挟みながら、今も淡々と執筆、刊行が続いている。

 基本的な筋立ては先行する説話等に想を得た「再話」が多いのだが、元になった物語から何を読み取り、現代においてどのように語りなおすかというところにこそ、作者のオリジナルは色濃くあらわれる。
 例えば妖怪マンガの大家・水木しげるの作中の妖怪デザインの多くは、先行する図像からの引用であるのだが、ペンによる細密描写と、とぼけたキャラクターの画風がブレンドされることにより、同じ引用元でも他の誰が描いたのとも違う、独自の世界が創出されている。
 それと同様の化学変化が、夢枕獏の「陰陽師シリーズ」にも起こっているのである。

 夢枕獏の描く晴明像、陰陽師像があまりに魅力的であったため、以後の創作物に登場する晴明や陰陽師のイメージはその影響を受け、ほとんど一色に塗りつぶされてしまった感すらある。
 フィクションの世界ではそうした「塗りつぶし」が度々起こるものだし、エンタメとして楽しむ分にはとくに問題はない。
 ただ、ちょっと注意したいのは、基本的に「陰陽師」というのは歴史的存在であるということだ。
 類する占いや祈祷などの呪的行為を行う者は、平安時代当時から数限りなく存在したが、朝廷に正式に仕える「陰陽師」は限られており、その他はまた別の名で呼ばれていた。
 正規の役職の無くなった現在、「陰陽師」は基本的には存在しえない。
 ごく少数、民間に陰陽道的な技能を伝承する地域や家系は現存するかもしれないが、その場合は「陰陽師」という名は使用されないのだ。
 だから、現代において「陰陽師」という呼称とともに安倍姓を名乗ったり、「いかにも」という装束でTV等に登場したり、現代の創作物のイメージ通りに呪術パフォーマンスを行う者には、眉に唾をつけておいた方が良い。

 話を夢枕獏の作品に戻そう。
 主人公である陰陽師・安倍晴明とともに物語に欠かせないのが、武士であり、琵琶や竜笛の名手である源博雅というキャラクターだ。
 晴明自身は謎めいた「孤高の人」なので、純朴にして「普通の人」の視点を持つ博雅との対話形式が物語の基本に置かれている。
 博雅は博雅で非凡な能力を持っているのだが、「陰陽師」や「呪」といった不可思議の領域については、あくまで読者一般が持つであろう素朴な疑問も口にし、リアクションをとってくれる。
 実は平安という時代背景そのものが、現代人にとっては異界そのものであり、その平安の闇を濃縮したような陰陽師という存在を受け入れるためには、わかりやすい聞き手がどうしても必要なのだ。
 何よりも、作者自身が晴明と博雅のやり取りを楽しみながら執筆しているのが感じられる。

 物語はほぼ毎回、晴明と博雅が、晴明の屋敷の濡れ縁でぽつりぽつりと会話するシーンから始まる。
 庭先の四季の移ろいを眺め、酒を酌み交わしながらの会話である。
 その会話の中に、都の噂話があったり、昔語りがあったり、訪問者があったりという一石が投じられ、水面の波紋のごとく物語が広がっていく。
 すぐに消える小さな波紋であることもあるし、思わぬ大きな広がりを見せる波紋もある。
 波紋は放っておいてもいずれ消え、収まるところに収まるのだが、「ほどよいところ」に収めるために別の小石を投じたり、風を吹かせたりする必要が生じる場合もある。
 晴明はそうした波紋の微調整役であり、解説者でもあるのだ。
 博雅は良き聞き手であり、時にはより良き落としどころを作るための触媒の役割を果たすこともある。

 作者も書いている通り、物語はマンネリズムであって、たとえば「サザエさん」の世界のように時間の流れが固定されているようにも見えるのだが、それでも微妙に変化はしている。
 レギュラーと言えるのは毎回登場の晴明と博雅、それに芦屋道満、蝉丸、露子、賀茂保憲あたり。
 そこに歴代の短編登場人物が使い捨てにされることなく再登場したり、近況が語られたりする。
 人間だけでなく、鬼や式神や器物等も、物語の中で等しく大切に年を重ねられている。
 常に登場しているのは晴明と博雅だが、他のキャラクター達もそれぞれに生活を続けていることが、折々に匂わされている。

「そう言えば、晴明と博雅は最近どうしているかな?」
 
 何年かに一度ふと思い出して書店に行くと、何冊か新刊が出ていて、馴染みの庭先で再会できる。
 そんな刊行ペースが、作品世界の雰囲気とよく合っていて、本当に心地良いのである。


●「陰陽師」夢枕獏(文春文庫)
 以下、続刊多数。

【付記】
 陰陽道という世界認識のスタイルについては、当ブログでも様々に語ってきた。
 興味のある人は以下を参照。
 カテゴリ:金烏玉兎
 カテゴリ:節分
posted by 九郎 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢枕獏 | 更新情報をチェックする
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