なんでもそうだが、「密教」というテーマはとくに著者選びに注意を要する面があると思う。
90年代半ば頃、色々読み漁って、人にも勧められると判断した著者、著作は、たとえば以下のようなものがある。
●「理趣経」松長有慶 (中公文庫BIBLIO)
名著中の名著ではないだろうか。
密教について、曼荼羅について、まず最初に何を読むべきかと問われれば、一秒も迷わずこの本を推す。
著者を身もふたもなく一言で紹介するなら、「高野山で一番偉いお坊さん」ということになるだろう。
理趣経の解説を軸としながら、チベットまで視野にいれた密教の思想を、極めて平易な語り口で紹介してある。
仏教の入門書とかムック本は毎月のように刊行されていて、高名な学者やお坊さんが編者や監修に名を連ねている場合も多いが、明らかに名前を貸しているだけというようなケースをよく見かける。
この本はそういうのとは全く違い、書くべき人が全力投球で書き上げた入門編であり、読み込むほどに発見がある奥の院みたいな一冊なのである。
私がこの本と出会ったのも、宗教関連の本を読み始めた最初期だったと記憶している。
ふりかえってみると私は、学び始めのスタート地点で前回記事でも紹介したような良書を、けっこう手にとっている。
若い頃の自分の眼利きを褒めてやりたい気分である(笑)
●「マンダラ(出現と消滅)―西チベット仏教壁画の宇宙」松長有慶(監修)・加藤敬(写真)(毎日新聞社)
密教と言えば曼荼羅である。
私は絵描きのハシクレなので、性分として曼荼羅にも「絵画的な質」を求めてしまうところがある。
同じ曼荼羅でも図版によってかなり違って見えるので、「良い図が掲載されている本」はとにかく貴重なのだ。
この本は前述「理趣経」の著者が、チベット密教の現地調査に行った際の成果を紹介した図録である。
チベット密教の曼荼羅が、きちんとした解説と共に日本で一般に紹介された中では、最初期のものになるのではないだろうか。
収録されている曼荼羅がどれも極上の逸品ぞろいで、これだけ揃った本はなかなかない。
内容に比して、現在古書価格がさほど高騰していないのがまた素晴らしい。
曼荼羅好き必携の一冊だと思う。
私は最終的には大きなサイズの曼荼羅を自分でも描いてみたいという夢を持っているので、「実際描く」ことを視野に入れた解説を、どうしても読みたくなってくる。
●「曼荼羅イコノロジー」田中公明(平河出版社)
空海により日本にもたらされたのは「中期密教」までで、その後も発達し続けた「後期密教」は、現在主にチベット文化圏に伝承されている。
長い年月をかけて構築された密教のロジックの部分、曼荼羅の生成理論は、チベット仏教まで視野に入れることでより明瞭になる。
図像としての曼荼羅の解説本としては、この一冊が最もお勧めになる。
著者はチベット密教についての良書も多く手掛けている。
●「超密教 時輪タントラ」(東方出版)
●「性と死の密教」(春秋社)
密教を名乗るカルトのテロ事件勃発を受けて、密教側の視点から、まともに回答しようとした貴重な試みもあった。
●「密教の可能性―チベット・オウム・神秘体験 超能力・霊と業」正木晃(大法輪閣)
●「増補 性と呪殺の密教: 怪僧ドルジェタクの闇と光」正木晃(ちくま学芸文庫)
同じ著者は、曼荼羅についても貴重な調査結果を紹介している。
●「チベット密教の神秘―快楽の空・智慧の海 世界初公開!! 謎の寺コンカルドルジェデンが語る」正木晃・立川武蔵(Gakken graphic books deluxe(5))
マンダラは仏教だけの専有ではなく、宗教を超えた広がりを持つ表現形態だ。
文化横断的にあらわれる「タントリズム」という視点から、マンダラ的な図像を集成する試みもある。
●「マンダラ―神々の降り立つ超常世界」立川武蔵 (学研グラフィックブックス)
チベット密教に関する良書の多くは、90年代、とくに95年以降に刊行された。
そこには、カルト教団によるテロ事件へのリアクションという面があったと思う。
本による独学の場合、とくに最初が大切だ。
まず良いものを読んでおくと審美眼ができ、迷わなくなるのである。
(続く)