何気なく立ち寄った書店で、すっと目にとびこんできた雑誌の表紙があった。
美術系の雑誌、真っ白な背景の中を、モノクロの岡本太郎が少し振り返って微笑しながら走り去る写真。
私はその雑誌の追悼特集で、96年1月に岡本太郎が亡くなったことを知った。
思わず雑誌を手にとって、貪るように読んだ。
今まで「空気」だった岡本太郎が、血と肉と、透徹した知性を備えた生身の人間として、改めて私の心をつかんで離さなくなった。
私たちの世代は、子どもの頃から空気のように「岡本太郎」と言う存在を呼吸して育ってきた。
大阪・千里の万博公園で見上げる「太陽の塔」のことは、みんな好きだった。
テレビCMではギョロッと目をむきながら「芸術は、爆発だ!」とか、「グラスの底に顔があってもいいじゃないか!」と叫ぶ変わった芸術家のおじさんとして、鮮烈な印象を放っていた。
また、岡本太郎デザインの鯉のぼりというのもあって、これまたTVコマーシャルで鮮やかな原色のデザインが強烈だったし、今はなき近鉄バッファローズのマークも岡本太郎デザインでカッコよかった。
私の世代の多くは、自然に「芸術家=岡本太郎」とイメージするようになり、今から考えるとその理解は物凄く的確だったことが分かる。
はじめて岡本太郎の絵画作品の実物を目にしたのは、確か中学生の頃だったと思う。
中学生になり、多少の絵画技術をかじるようになると、タレントじみた岡本太郎の活動が軽く見えたり、太陽の塔のようなシンプルなデザインがつまらなく思えたりしてくるようになる。
思春期に入ったばかり、技術を学び始めたばかりの初心者が陥りがちな馬鹿さ加減なのだが、当の本人は自信満々だから自分の未熟さに気付けるはずもない(苦笑)
そんな馬鹿真っ盛りの頃、近場の美術館で展覧会があった。
正確なタイトルは覚えていないが、日本の近現代の絵画を広く集めた展示だったと思う。
何点か岡本太郎の絵画作品があり、今でもはっきりと記憶に残っている。
馬鹿全開の中学生の私にすら、その特異性は一瞬で理解できた。
作品の持つ空気が、その場の並み居る画家の作品とまったく違っており、とくに「森の掟」にはただただ圧倒された。
その展覧会には他にも優れた作品がたくさんあったはずなのだが、現在の記憶の中には岡本太郎の作品しか残っていない。
私の中で岡本太郎と言う名前が「TVにでている爆発おじさん」から「凄まじい筆力を持った画家」に変わった瞬間だった。
しかし当時の私には、岡本作品の圧倒的な力にまともにぶつかるだけの余力がなく、以後は「敬して遠ざける」という付き合い方になってしまった。
それから時は流れて1996年。
阪神大震災やオウム真理教事件の動乱の翌年、訃報が流れたのである。
訃報とともに岡本太郎の再評価が始まり、作品集が刊行され、多くの著書が復刊された。
私が本格的にそれらの著作に取り組み始めたのは2000年以降なのだが、90年代当時からぼちぼち読み始めていた。
●「今日の芸術」岡本太郎(光文社文庫)
1954年に初版が刊行され、芸術を志す者に広く読み継がれてきた一冊。表題「今日の芸術」は、1950年代における「今日」を意味しておらず、芸術がその時代それぞれの「今日的課題」であるための条件を、きわめて平易な文章で語りつくしている。出版社の意向で「中学生でも理解できるように」徹底的に言葉を噛み砕いているため、読んでいてテンションの高い講演会を聴いている様な、流暢な香具師の口上に聞き惚れているようなライブ感がある。
「今日の芸術は、
うまくあってはならない、
きれいであってはならない、
ここちよくあってはならない」
こうした刺激的なコピーで読む者は首根っこを捕まえられ、理路整然と説得され、勢いに巻き込まれて一気に通読させられ、いつの間にか意識は転換させられてしまう。
個人的には「芸術」と「芸事」の相違の解説の部分が、この本の白眉だと感じた。たゆまぬ修練によって身につけた技能が、実は芸術の本質からはずれた価値であるかもしれない。そのことは恐ろしくもあり、勇気づけられもする指摘だ。
●「青春ピカソ」岡本太郎(新潮文庫)
岡本太郎が「今日心から尊敬する唯一の芸術家」と評し、だからこそ超えるべき対象として想定したピカソについての一冊。ピカソの作品や経歴についての詳細な解説であると同時に、真正面から取り組むことで積極的に創り上げた岡本太郎独自の芸術論の書でもある。
最後の章でピカソと実際に会うくだりは、湿度が低くさらっと明朗な交流の様子がうかがえる。ピカソのぶっきらぼうな言葉の断片と、太郎の受け答えは、特筆するようなことは何もないのだが、何度も読み返したくなる。
●「岡本太郎に乾杯」岡本敏子(新潮文庫)
太郎の活動を支え続けた岡本敏子が、太郎の死後、秘書としての視線から遺した記録。昨今の太郎再評価の機運は、敏子の尽力の賜物といって良いが、その敏子も今はもういない。
表紙に使われている写真が良い。白い背景の中、ふと振り返って、少し微笑んでからどこかへ駆け出していく姿は、戦後の日本を駆け抜けた岡本太郎そのものに見える。
私が1996年の神戸で、ふと手に取った雑誌の表紙になっていたのも、この写真だったはずだ。
●「日本の伝統」岡本太郎(知恵の森文庫)
独自の視点から日本文化を創造的に評価しなおした一冊。とりわけ第二章の縄文土器についての考察が白眉。岡本太郎の目を通し、岡本太郎の感じ取った縄文が、以後の縄文観の原点になっていることがよくわかる。しかし、太郎が「四次元」「呪術」と表現した、単なる造型上の要素を超えた縄文土器の価値については、いまだ十分に考察がなされていないと感じる。
まだまだ縄文は新しくあり続けることを予感させる論評だ。
●「沖縄文化論―忘れられた日本」
沖縄論の古典とも言うべき必読書。中公文庫に収録されており、価格も安く入手も容易。初版の刊行は1961年であり、内容の大半は復帰前の沖縄の生々しい現地レポートだ。
岡本太郎のモノを観る視点は、限りなく知的で醒めており、表現は的確だ。生粋の日本人でありながら、日本を突き放しつつ、誰もが忘れ去ってしまった日本の古層に横たわる美を抉り出す。
縄文土器の美を世界中で最初に見出したのは岡本太郎であったし、沖縄についても戦後最初の紹介者にあたるのではないだろうか。沖縄に対する視点、分析は、とても60年代初頭に書かれたとは思えぬほどに新しい。
試みにいくつか章題を書き出してみよう。
・「何もないこと」の眩暈
・踊る島
・神と木と石
・ちゅらかさの伝統
・神々の島 久高島
これらのキーワードは、現在でも多くの人々によって研究され論じられているものばかりだ。沖縄にまつわる主要な論点は、60年代の時点で既に、岡本太郎の透徹した感覚によって捉えられていたことになる。
沖縄に興味を持つ人には、まずこの一冊をお勧めしたい。
●「岡本太郎の沖縄」
こちらは「沖縄文化論」執筆と同時期に撮影された、岡本太郎自身によるモノクロ写真の数々を、岡本敏子が編集したもの。「沖縄文化論」にもいくつかの写真は紹介されているが、本格的な写真集で見ると圧巻だ。
岡本太郎特有の、光と闇のコントラストの強烈な写真の数々が「岡本太郎の見た沖縄」を生々しく記録している。
とくに昔の沖縄のおばあさん達を撮った素晴らしい写真が多い。
私は大本教に興味があって色々資料を漁っているのだが、大本開祖・出口なおの写真を観た時の衝撃と似た感動を、この写真集の沖縄のおばあさん達の写真に覚えた。長い年月に洗い晒された銀髪と、誇り高い毅然とした表情が、両者に共通している。
私は以前カテゴリ沖縄で「本土では神木クラスの樹木が、沖縄ではごく普通に生い茂っている」と書いたことがある。人間についても似たことが言えるのかもしれない…
岡本太郎に再会した私は、絵を描くとかものを創るということは、そもそも「何を見てどう感じるか」から始まっていることに、あらためて気づかされた。
そして、この日本という国の中にも、まだまだ隠れた「呪力」が残っていることを知ったのである。
岡本太郎については、一つのカテゴリとして、このブログで紹介してきている。
(続く)