子供の頃から小柄で、おまけに弱視児童が出発点なので、「反骨」が性分になっている。
今でも「多数派」とか、「権力」とか、「図体がデカい」とかいう相手には、とにかく無条件に反発を感じる。
そうは言っても柔弱な絵描きに過ぎないので、普段から喧嘩上等で相手かまわず食ってかかっているわけではないが、表面上大人しく、基本的には争わず、しかし深く静かに不服従は通す。
あくまで「反骨」という性分が基本であり、個別の言辞が、世間一般の通念から見て「サヨクっぽく」なるのは結果に過ぎない。
だから、そうした性分から共感できる語り手には、昔から左右の枠を超えて心惹かれるところがあった。
90年代の私は「右翼」と呼ばれる中にも、お気に入りの論者が何人かいたのだ。
読み始めは鈴木邦男だったと記憶している。
当時は他称「新右翼」、自らは「民族派」と名乗っていた一水会の代表を務めていて、政治や思想にこだわらない幅広い活動を繰り広げていた。
私が最初に読んだのも、90年代当時ハマり切っていたプロレス関連の書籍だったはずだ。
率直で小気味の良い語り口が痛快だったので、たとえば以下のような「本業」の方の本も読むようになった。
●「脱右翼宣言」鈴木邦男(アイピーシー)
何と言っても面白かったのは、94年から「週刊SPA!」で連載されていた「夕刻のコペルニクス」だった。
それまでに体験してきた「実力行使」を含む民族派運動、思想の枠を超えた幅広い交流、かつて自身に向けられた赤報隊嫌疑などなど。
素材だけでも十分に刺激的だったのだが、そうしたヤバいネタを語ることによって、各方面からの抗議、脅迫、警察のガサ入れなどが次々と誘発され、それがまた同時進行で連載に取り上げられるという暴走ぶりが、毎週楽しみで仕方がなかった。
連載はかなり長く続いたけれども、94年の開始から96年分までを収録した一冊目が、飛び抜けて濃厚で面白かった。
●「夕刻のコペルニクス」鈴木邦男(扶桑社文庫)
前回記事で紹介した突破者・宮崎学との対談本もある。
●「突破者の本音―天皇・転向・歴史・組織」宮崎学 鈴木邦男(徳間文庫)
この両名、実は早大の学生運動時代は敵味方の関係にあり、乱闘を繰り広げていたとのこと。
刊行当時、「キツネ目の男VS赤報隊!?」というような煽りがつけられていたと記憶しているが、その宣伝に違わぬ濃密な一冊になっていた。
昨年は日本の右傾化という論点から「日本会議」に関する書籍が一斉に刊行され始めたが、その中でも嚆矢というべき一冊に、鈴木邦男に関する記述があった。
●「日本会議の研究」菅野完(扶桑社新書)
鈴木邦男が高校時代から「生長の家」の信仰を持っており、早大在籍時に右派の学生運動のリーダーであったこと、そして内部抗争により、運動からも教団からも放逐された経験があることは、自身で繰り返し語られてきたところだ。
当時「放逐した側」であったメンバーが、現在の「日本会議」を築き上げた経緯は、この本の末尾で初めて知り、90年代になんとなく「空白部分」として残っていた箇所に、思いがけずピースがハマったような感慨を持った。
そして、私が「右翼民族派」である鈴木邦男の著作を長年にわたって愛読しながら、「日本会議的なもの」に対しては一貫して反発を感じていたことの原因も、ようやく腑に落ちたのである。
鈴木邦男のリアルタイムの動向は、以下のサイトで週一で紹介されている。
鈴木邦男をぶっとばせ!
90年代当時の私が愛読していた、鈴木邦男をはじめとする複数の語り手が、敬意と共に度々取り上げていた名があった。
野村秋介である。
右翼民族派でありながら反権力、そして左右を超えた幅広く濃密な交流という、私好みの思想傾向の原点になったような人物であることが伺われ、興味を惹かれて著作を読み耽った。
●「さらば群青―回想は逆光の中にあり」野村秋介(二十一世紀書院)
93年、朝日新聞本社での「自決」と同時に刊行された、野村秋介の主著である。
600ページ近い厚みの三部構成。
第一部は折々の随想や生い立ちに関する記述、第二部は「ナショナリストの本分」、第三部は朝日新聞との論争の集成になっている。
天皇を奉じるナショナリストであり、改憲派、朝日新聞批判と並ぶと、昨今のネット右翼と変わらぬ印象になるかもしれないが、中身は全く異なる。
改憲派ではあったが、現憲法の基本理念は肯定しており、決して明治憲法への復帰は主張していなかった。
むしろ戦前回帰、軍国主義的な、思想無き「反共右翼」は明確に批判しており、国家神道体制も否定している。
一貫して反権力であり、政権と癒着するジャーナリズムや、見せかけの言論の自由を舌鋒鋭く暴き立てる語り手であった。
朝日新聞との論争、そして「自決」にしても、戦うべき価値を認めてこそのものだったのだ。
既に二十年以上前の著作であるけれども、天皇や愛国、改憲を語る時、時代を超え、左右の立場を超えて傾聴すべき論点が詰め込まれた一冊である。
保守を名乗る者の振舞いの幼稚さ、薄汚さが目に付きすぎる昨今、再読されるべき語り手であると強く感じる。
(続く)