2017年04月17日

本をさがして17

 民族芸術的なものには、昔から興味があった。
 私が子供時代を過ごした70年代から80年代にかけては、大阪万博の余韻もあって、民族学の分野が一般に広く紹介される機運があったのだと思う。
 万博向けに収集された民族芸術品を母体に、跡地には国立民族学博物館が立ち上げられ、各地の小中学校の校庭にはトーテムポールが立てられたりしていた時代だった。
 諸星大二郎の代表作「マッドメン」は、今からでは信じがたいことに、70年代の少年マンガ誌で連載されていたのだ。



 白土三平の「カムイ伝」も、当初の予定では第三部でアイヌの世界に流れ込むはずだったという。

 そうした時代状況と共に、私の場合は幼い頃からお経を読んでいたり、木彫りの妖怪に囲まれて育ったりという原風景も、もちろん影響していたことだろう。

 90年代の学生時代、同じ美術科のメンバーの何人かが民族音楽や民族楽器好きだった。
 私も前から好きだったので、その種のカセットテープを聴かせてもらったり、それぞれ楽器の手作りを試してみたりしていた。
 意識的に民族音楽を聴き始めたのは、その頃からだったと記憶している。
 卒業後もその趣味は続いていて、時期的にもちょうど「アンプラグド」が再評価され始めていた頃だった。

 私にとっての決定的だったのは、家電量販店のワゴンセールで特売CDを眺めていた時の「出会い」だった。
 その時ふと手に取ったCDのタイトルは「高砂族の音楽」。
 全100枚に及ぶ「世界民族音楽大集成」という膨大なシリーズの中の一枚だった。
 台湾原住民の素晴らしい音楽で、中には首狩りの風習を持っていた一族の現地録音も含まれていた。
 少数部族が深い森の中で生み出す音は、素朴でありながら壮大で、混声の響きは宇宙大に広がっていくかのように感じられた。
 言葉はわからないものの、発声は日本語に近く、メロディーは「我が民族音楽」である浄土真宗のお経と、どこか似通っていた。
 すっかり気に入ってシリーズの他のCDも探したが、その後さっぱり見つからなかった。
 近所の図書館の書庫に全部揃っているのを発見し、狂喜乱舞したのは2000年代に入ってからのことである。


●「世界民族音楽大集成」
 質、量ともに、この種の民族音楽集成の中では群を抜いた決定盤ではないかと思う。

 私の場合、たまたま自分の持っている波長と近い音源に出くわす幸運に恵まれたが、民族音楽の世界は興味があってもなかなか入りこみにくい分野ではある。
 同じ地域の民族音楽でも音源によって歴然とした差があり、当たり外れはかなり大きい。
 プレーンな現地録音と、スタジオできれいに再現された音源のどちらが良いかは、一概には言えない。
 制作に豊富な予算を割いたシリーズでもつまらない音源はいくらもあるし、元々ワゴンセールで売ることを前提としたような作りのCDでも、びっくりするくらい良い音源が入っていたりする。
 要するに、「聴いてみないとわからない」という博打の要素が強いのだ。
 もちろん聴き手の理解力の問題もあるだろう。
 入り口としては「素の現地録音」よりも、それを現代風にアレンジしてあったり、現代日本人が演じていたりすると耳に入り易くなるという傾向はある。
 本土で沖縄民謡がこれほど理解されたのも、THE BOOMの「島歌」の功績が大きいと思うし、元ちとせの歌声で奄美民謡に対する理解は深まっただろう。

 そうした民族音楽の「現代語訳」として私がお勧めしたいのは「芸能山城組」だ。
 現在でも入手しやすいのは以下のCD。


●「Symphonic Suite AKIRA」
 映画「AKIRA」の音楽として知られているCDだが、映画から独立したオリジナル作品として聴いても素晴らしい。
 日本の民謡や声明、純邦楽が、ケチャやガムランなどの様々な民族音楽の世界とミックスされて、懐かしくもあり新しくもある祝祭空間が音で創出されている。
 民族音楽のコアな世界への入り口として、これ以上無いほどの一枚である。
●「芸能山城組入門」
 上記以外の様々なアルバムから、濃縮エキスのようにいいとこ取りをした一枚。
 
 波長が合うようなら、以下の代表作二枚をお勧めしたい。


●「恐山」
●「輪廻交響曲」

 ふり返ってみると、民族音楽を聴くこと、お気に入りの音源を探すことは、同時に「自分の魂の故郷」を探しているようなところがあったと思う。
 私の場合、どうやらそれは、日本を含めた東アジアの「森の音楽」ということになりそうだ。

 民族音楽を追っていると、必然的に民族楽器に興味が向く。
 旅行先では土産屋の各種オモチャ楽器に目が行くし、エスニック雑貨の店では最初に楽器のコーナーに足を向けたくなる。
 普通の楽器屋でも民族楽器や手作り楽器のコーナーがないか、まず見回してしまう。
 実際に購入に至ることは少ないのだが、小型で手頃な値段の気に入ったものがあれば、ついつい衝動買いしてしまうこともある。
 周りに「民俗楽器好き」を公言していると、お土産にオモチャ楽器をいただく機会もできる。

 とくに、弦楽器が好きだ。
 決してちゃんと演奏できるわけではないのだが、弦楽器をテキトーに爪弾きながら、好きな歌や語りものを口ずさむのが趣味である。
 その時のお供としてミニギターの類をずっといじってきたのだが、90年代初め頃、初めてウクレレを手にとった。
 今でこそウクレレはかなりの人気楽器だが、当時はさほどでもなく、60〜70年代のハワイアン流行り以降、まだ次の波が来ていなかった。
 だから当時私が購入したウクレレにも、サンプルの譜面に加山雄三あたりの曲が掲載されていて、苦笑した記憶がある(笑)
 今につながるウクレレ人気は、確か90年代後半くらいからではなかったかと思う。
 ウクレレはギターより弦が少なく、ナイロン製なのではるかに抑えやすい。
 私程度の弦楽器の楽しみ方をするには本当にぴったりの楽器で、今でもギターと並んでよくいじっている。

 民族音楽を聴いていると民族楽器で遊んでみたくなるし、素朴なものなら自分で作ってみたくなるのは自然な流れだ。
 私の場合、楽器趣味は自分で工作したりペイントすることまで含んでいる。
 今はけっこう色々と手作り楽器キットが出回っているけれども、90年代当時は美術や音楽教育向けの手作り楽器参考書が何冊か出ている程度だった。
 私が今でも手元に置いて参照しているのは以下の本。


●「音遊び図鑑―身近な材料で楽器を作ろう」藤原義勝(東洋館出版社)

 今現在amazonではちょっと古書価格が高騰しているようだが、小学生でもできる工作から本格的な民族楽器作りまで、実に幅広く紹介してあるバイブルのような一冊だ。

 民族楽器でよく使用される素材が、竹と瓢箪だ。
 身近で加工しやすく、中空構造で音が良く響くことから、様々な地域で使用されている。
 当時の私は都市部に住んでいたので必ずしも身近な素材ではなかったが、ホームセンターや東急ハンズ等で比較的安く手に入った。
 ハンズで入手した瓢箪の中から大量の種子が出てきたので、試しにアパートのベランダでプランター栽培してみたら、ちゃんと果実がついた。
 土が足りなくてさほど大きくはならなかったが、オモチャ楽器の素材としては十分使えた。
 手ごろな竹が手に入らないときは、塩ビパイプがけっこう代用品になった。
 ねずみ色のいかにも安っぽいパイプで尺八を作ってみると、意外にそれらしい音が出てびっくりしたこともある。
 竹と瓢箪という素材は、実は民族・民俗文化を考える上で重要なキーワードになるのだが、当時はまだそこまで気付いていなかった。


●「竹の民俗誌」沖浦和光(岩波新書)

 確かその頃、「週刊プレイボーイ」で気になる記事を見かけた。
 同誌は昔から「グラビアで売って好き勝手な記事を書く」というスタンスが見える「意外と社会派」雑誌で、ハードなルポやくだらない企画、もちろんグラビアも含め、好きでよく読んでいた。
 私が興味をひかれたのは、アイヌの血をひく若者が、ふとしたきっかけで「トンコリ」という民族楽器を手にして、自分で奏法を探りながらルーツに目覚めていった顛末を紹介した記事だった。
 なんとなく記憶に残ったそのアーティスト、OKIのCDを実際に手に取ったのは、2000年代に入ってからだったけれども、今もよく聴いている。


●「KAMUY KOR NUPURPE 」OKI

 90年代後半の私は、様々な宗教書を渉猟するのと並行して、ギターやウクレレで遊んだり、手作り楽器を楽しんだり、民族音楽を漁ったりしていた。
 元々演劇をかじっていたので、音や芸能の世界には興味があったのだけれども、それは別々のことではなく、私の中では一続きのことだった。
 今思うと、私は「自分の魂の故郷に行き着いた先達」としてのOKIに、心惹かれていたのだろう。
 私の場合、どうやらそれは「東アジアの森の音楽」だったし、自分で唱えたり歌ったりするなら和讃や祭文の世界になる。
 手作り楽器趣味も、じわじわとそうした世界観に合う音の出るものに傾いて行った。
 今は、ボックスギターというジャンルにハマっている。
(続く)
posted by 九郎 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする
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