国家神道体制が確立した近代日本では、その範疇に収まらない宗教、宗派は、何らかの形で弾圧を受けた。
当時は「国家の方がカルト」という逆転現象が起きていたので、戦前戦中の弾圧の事実は、戦後裏返ってむしろ勲章になった。
(在連立与党で戦前回帰の片棒を担いでいる公明党の支持母体・創価学会も、戦前には激しい弾圧を受けており、初代会長は獄死している)
そして、戦前、戦中の宗教弾圧の中でも史上空前の規模で行われたのが、大本教のケースだったのだ。
95年の事件では、カルト教団側が自らを正当化するモデルケースとして大本教事件を取り上げ、それに対して文化人や宗教学者から「戦前とは国家と宗教の在り方が全く違う」と反論されるという流れがあったと記憶している。
大本教と教主・出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)については、その名前や簡単な事跡くらいは知っていた。
私は80年代からオカルト趣味があったので、雑誌などで得た断片的な知識から、王仁三郎のことは「近代日本の卓越した予言者」といった文脈で記憶していた。
80年代オカルト的な解釈で描かれた出口王仁三郎像としては、八幡書店の武田崇元の著書が一つのスタンダードになっているだろう。
●「新約 出口王仁三郎の霊界からの大警告」武田崇元(学研)
本書は80年代初出。90年代、2010年代に、それぞれリニューアル版が刊行されている。
現在入手しやすいのは2013年版。
予言や超能力等のサブカルチャー的な間口を用いながらも、知的探求に堪えるコアな領域までカバーした、読み応えのある一冊である。
95年当時、大本教事件を取り上げる際には、それをモデルにしたと思しき高橋和巳の60年代半ばの小説「邪宗門」が、よく引き合いに出されていた。
左派知識人が書いた小説なので「あまり面白くない」とか「読みにくい」とかいう但し書きとともに紹介されることが多かったのだが、興味を惹かれてともかく読んでみた。
●「邪宗門 上下」高橋和巳(河出文庫)
事前に目にしていた「悪評」にも関わらず、読んでみるとかなり面白かった。
インテリの書いた教養小説とは言いながら、筋立てはかなり波乱万丈で、歴史モノに仮託して抑圧された民衆の武装蜂起を描くという点は、白土三平の「カムイ伝」とも共通するアプローチだと感じた。
こういう物語は、やはり文句なく血沸き肉躍るのであって、一読の価値は十分ある。
ただ、その後大本や王仁三郎に関する読書を進めてみてあらためて確認できたのは、史実としての大本教事件を論じるにあたって、この作品を例示するのは無理があるということだった。
作者自身があとがき等で述べている通り、史実としての大本教事件を素材の一つとしてはいるものの、事実関係も教義内容も、作中で描かれたものは完全に別物なのだ。
中でも、出口王仁三郎に相当する「行徳仁二郎」という登場人物の描写が、ちょっと大人し過ぎる点が大きく異なると感じた。
80年代オカルト界隈で紹介されていた、王仁三郎の「三千世界の大化物」という破天荒なイメージからは遠く、「ちょっと描き切れていないのではないか?」という印象を持った。
作中における「大化物の不在」、主要な登場人物があまりに生真面目で純粋であったことが、小説の悲劇的な結末を招いたのではないかとも感じた。
フィクションではない、出口王仁三郎の実像はいかなるものであったのか?
次に手に取ったのは、以下の本だった。
●「巨人出口王仁三郎」出口京太郎(天声社文庫)
初出は1967年、講談社から刊行。
王仁三郎の実孫の一人、京太郎の著作である。
私が手に取ったのは95年刊行の現代教養文庫版だったが、現在は教団出版部の文庫版が入手しやすい。
500ページ超のボリュームで、王仁三郎の破天荒な全生涯が、テンポの良い活劇として描き出されている。
二度にわたる過酷な宗教弾圧にも屈せず、しぶとく陽気に時代を駆け抜けた、まさに「三千世界の大化物」の一代記である。
大本教や出口王仁三郎について知ろうとする時の「最初の一冊」としては、今も変わらずスタンダード中のスタンダードではないかと思う。
王仁三郎と並ぶ大本の女性開祖、出口なおについては、以下の本が定番。
●「出口なお――女性教祖と救済思想」安丸良夫(岩波現代文庫)
この二冊を読むと、大本教についての大枠は理解できる。
ただ、日本史上空前の大弾圧を招いた理由については、今一つはっきり理解しがたい面があった。
私はさらに読書を進めた。
90年代は、出口王仁三郎の主著にして、全81巻83冊の巨大根本経典、「霊界物語」が、初めて教団外から出版され、広く一般に公開された時期でもあった。
大型書店の宗教コーナーでは、出口王仁三郎関連のスペースが広く確保されていて、ちょうど関心を持ち始めていた私は休日ごとに通い詰めた。
何から読もうかとあれこれ手に取っていた時、同じ棚の一画に、気になる小説作品があった。
その小説のタイトルを、「大地の母」という。
(続く)