当時の記憶の断片に、私が幼児期に昼間の時間を過ごしていた祖父母の家のTVで、「地球滅亡まであと〇〇〇日!」という例のエンディングを観ているシーンがある。
今試みに年表を確認してみても、記憶とは矛盾しない。
その頃はまだ、ヤマトのプラモデルには手を出していなかったはずだ。
はめ込み式の「ロボダッチ」のシリーズは作っていたが、ヤマトのシリーズは接着剤使用だったので、幼児には難易度が高かったのだ。
その代わり、油粘土で作っていた。
通っていた幼稚園の園長室の前に、「宇宙戦艦ヤマト」ではなく「戦艦大和」の大きな模型が飾ってあり、そこの廊下まで粘土板と粘土をもっていって、見ながら作っていたことを覚えている。
子供心に「ヤマト」と「大和」が違うことは認識していた。
アニメ作中で、赤茶けた「大和」の残骸から、脱皮するように「ヤマト」が発進するシーンの印象は強烈だったのだ。
一応違いは認識しながらも、つもりとしては「宇宙戦艦」の方を作りたかったので、園長室の模型はあくまで参考資料だった。
自分の粘土作品の方には、先端部分に波動砲の穴をグリグリ開けたり、あちこちに戦艦大和には存在しない「角」をつけたりしていた。
ただこの「角」は粘土で作るとへたりやすくて、自立させるためにはかなり太く野暮ったく作らねばならず、子供心に無念を感じていた。
当時「角」と呼んでいたスタビライザーは、実用性はさておき、SFっぽい意匠としてとにかくカッコよく見えた。
実在の戦艦大和を元に「リアル」を担保し、SF的な洗練された雰囲気を加味するというデザイン意図は、幼児にもほぼ正確に伝わっていたのだ。
今思うと、大和の残骸から脱皮するあの鮮烈なヤマトの発進シーンは、物語の構図やデザインの方向性を一発で伝える、絶妙の演出だったのだと分かる。
実在の兵器を元にしたリアルと、SF的な再構成という構図は、「ヤマト」の作品全編を通じて巧みに使用されている。
粘土で作っていた幼児期を過ぎ、小学校に入ってからはぼちぼちヤマトのプラモデル作りにハマっていった。
あらためて確認すると、それは第二作の白色彗星帝国編が流行っていた時期と重なっていたようだ。
イスカンダルから放射能除去装置を持ち帰ったヤマトは、地球を救った伝説の宇宙戦艦としてリスペクトされながらも、確か第二作冒頭では「ロートル扱い」になっていた。
作中で、新たな高性能宇宙戦艦として華々しく登場したのが「アンドロメダ」だった。
アンドロメダは、一目で「最新鋭」と分かるデザインになっていた。
ヤマトのデザインに含まれる懐古趣味を一掃し、作品内のSF的世界観のみで洗練されたようなデザインラインである。
とくにわかりやすい「足し算」のデザインとして目を引いたのが、船首に二門装備された「拡散波動砲」だった。
見た目からもう単純に「ヤマトの二倍強い」のだ(笑)
実はこのアンドロメダ、スペックの高さのわりに意外と活躍が少ないのだが、デザインの良さから人気は高かった。
小学生の私はヤマトのクルーの方に感情移入していたので、アンドロメダの登場には「くやしさ」を感じたのだけれども、それでもそのカッコよさは認めざるをえなかった。
ヤマトが「広く一般にウケる」タイプのデザインとするなら、アンドロメダは「作品のファンの中で支持される」タイプなのかもしれない。
歌の世界でも、「一般に売れた曲」と「コアなファンの好む曲」は別だったりするが、そのような対比をヤマトとアンドロメダに当てはめても面白い。
ということで、ヤマトメカコレクションの作例第二弾は、アンドロメダである。
●「メカコレクションNO.4 アンドロメダ」バンダイ
今現在amazonでは法外な値段が付いているが、もとは100円とか200円で売られていた小サイズのオモチャプラモである。
今制作されているリメイクアニメにアンドロメダも登場するので、いずれ新キットも出るだろうし、再販もあるだろうから、あわてて大金を投じるようなまねはお勧めできない。
造形的な出来は素晴らしく良い。
手のひらサイズながら、作中のあのアンドロメダのイメージそのものだ。
成型色のグレー一色だが、さほど複雑な色分けでもないので塗装の難易度は高くない。
今回の私の作例は、合わせ目消しすらしておらず、ボコボコ筆塗りしたやっつけ仕事だが、もっと丁寧に作ればそれに応えてくれるだけの素材になっていると思う。
中古屋の箱つぶれなどで安く手に入るならお勧めである。
(続く)