ヤマト往年のメカコレクション、デスラー戦闘空母である。
●「メカコレクションNO.16 デスラー戦闘空母」バンダイ
手のひらサイズながら、発売された時代を考えると、作中イメージがよく再現された精密な作りになっている。
三連砲のパーツなどは、制作時や塗装時に折ってしまわないように注意が必要なほど繊細だ。
(写真が下手糞すぎる。また今度撮り直し!)
このデスラー戦闘空母は、子供の頃もっと大きなサイズのプラモを作った覚えがある。
おそらく以下のプラモ。
●「1/700 ガミラス艦隊旗艦デスラー戦闘空母」
確か空母仕様の平坦な甲板が裏返り、デスラー砲が迫り出してくるギミックがあったはずだが、年少者には組み立てがけっこう難しくて失敗。
デスラー砲が表に出た状態で固定にした無念の記憶が残っている。
今回の小サイズ版は、その苦い思い出のデスラー砲固定状態のモデルだ。
成型色は赤一色だが、もともとの設定がほぼ赤一色なので、塗装なしでもそれなりの雰囲気になるだろう。
色合いや形状に、いかにも「異星の未知の文明」といった雰囲気が漂う。
ヤマト作中のメカデザインは、属する星系ごとにデザインの特徴が持たされているのだ。
地球側の艦隊のデザインの雰囲気は、前回記事のアンドロメダに代表されていて、実は主役戦艦のヤマトだけデザインが異質だ。
子供心にも感じた「ヤマトだけちょっと違う」という印象は、けっこう重要なテーマを含んでいると思うのだが、そのことはおいおい語っていくことにする。
当時の私のヤマトプラモの買い方は、まずは普段のお小遣いで100円のメカコレクションを集めることから始まった。
少しお金が貯まったり、誕生日などの機会には、500円から1000円くらいの値段帯のものをいくつか入手できた。
それ以上の高額プラモも買えるのは、お年玉などの臨時収入があった時に限られた。
まあ、あの頃のプラモ好きの小学生は、みんな大体似たような感じだったと思う。
小サイズのメカコレは成型色一色の仕様だったが、大きいサイズのプラモは一部色分けされている場合があり、高級感があった。
今のプラモの色分けはプラスティック自体の成型色で分けられているが、昔は吹き付け塗装がしてあり、たとえば主役戦艦のヤマトなら、艦体の下半分が赤で塗られた状態で製品化されていた。
アニメ作中のイメージが製品の素の状態で再現されているのは嬉しかったが、この吹き付け塗装というのがけっこう難物で、うまく組み立てないと接着剤で塗料が溶け出してきてグチャグチャになってしまうことがあった。
そうした失敗でよく覚えているのは、ヤマトの内部構造が再現されたタイプのカットモデルを組んだ時のことだ。
おそらく、以下のプラモと同種。
●「1/700 メカニックヤマト」
ヤマトの艦体を縦に唐竹割りにし、艦首の波動砲から後部の噴射口までびっしりとメカが詰め込まれて完成するモデルで、内部メカのパーツには全て銅色の吹き付け塗装がしてあった。
接着面まで塗装されている箇所が多く、接着剤で塗料が溶けだし、せっかく貼り付けてもポロポロ外れまくり、何度もやり直しているうちに銅色がグチャグチャになった。
今から考えると、接着面だけカッターなどで塗装をはがすべきだったのだが、当時はそこまで考えが及ばなかった。
接着剤の使用は最小限に、なるべくキットの素の状態を活かしながら組み上げ、必要であれば一部塗装するのが、当時のヤマトプラモ制作の定番スタイルだった。
がっちり接着した後の合わせ目消しや、全塗装が流行り出すのは、何年か後のガンプラブーム以降のことで、私自身はそのスタイルに一番馴染みがある。
今現在のプラモはキットの素の状態でほぼ色分けがされており、スナップフィットで合わせ目も目立たないので、逆に一部塗装などの簡単仕上げスタイルに回帰しているようだ。
ヤマトプラモの思い出の中では、何と言っても当時発売されていた最大サイズのものを作ったことが記憶に残っている。
行きつけのプラモ屋の棚の最上段、いつもチラチラ気になる巨大な箱があった。
心のどこかに、幼稚園に置いてあった「戦艦大和」の巨大模型への憧れが残留していたのかもしれない。
今試みにamazonで探してみると、たぶん以下のものと同一モデルだ。
●「1/500 ニューコズミックヤマト」
当時の定価は忘れもしない3500円。
温存していたお年玉の入った封筒を手に、プラモ屋のおばちゃんに脚立を使って最上段から取ってもらい、一年間ぐらいずっと欲しかったこのプラモをついに手に入れた。
たぶん小学校三年から四年くらいのことである。
私は子供の頃から割と生真面目な慎重派だったので、その巨大ヤマトを購入するまでに、自分なりに「修行」を積んでいた。
100円のメカコレで細かい部品の接着や一部塗装を練習し、1000円くらいまでのモデルで、サイズの大きなパーツや、吹き付け塗装パーツの接着を練習した。
自分なりに「今ならヤツを完成できる!」と自信ができるまでに一年ぐらいかかったのだ。
執念深く狙っていた最上段のプラモは、さすがにデカ過ぎ高過ぎで、売れずに残っていてくれた。
そして私は小学生なりに持てる技術の全てを注ぎ込み、両手で抱える程の巨大なヤマトは完成した。
作っている間、そして完成の瞬間までの至福の時間は、今でも鮮明に覚えている。
その時なんとなく理解できたのは、私が本当に欲しいのはプラモ自体ではなく、「そのプラモを上手く作ることができる自分」を求めているのだということだった。
こうした傾向は、今も全く変わらず続いている。
私のヤマトプラモへの「熱」は、この後急速に去っていった。
その理由は、一つには最上級モデルを完成させてしまった達成感だっただろうし、さらには次のムーブメントである「ガンプラブーム」が始まりかけていたこともある。
何より大きかったのは、実在の「大和」とアニメの「ヤマト」の微妙な関係に、そろそろ気づきはじめる年齢にさしかかっていたことである。
(続く)